2021/1/22
自制と我慢の違い 1日まとめ記事
自制大事だね、これ新しい惑星を見つけたくらいの発見。
テイラースイフトに倣って「世間一般の常識を過度に評価する」スタイル。
本当に自制が苦手で自制する方が損じゃん?自由がなくなるじゃん?って。
でも社会の仕組みはよくできていて、自制ができないと組織等の集団に制限されるだけなんですよね。
本当の自由というのは人間である限り存在せず、「制御」の総量は変わらないのかな、と。
つまり「自制がMAX」なら他者からの制御は受けず、「0」ならば完全なる支配を受ける、というような。
他者から守るためという目的にもなる「自制」。
ただ、我慢とは違います。
僕は我慢という言葉大嫌いで、誤用というか「偉いこと」とされているのが気に食わない。
僕にとっての我慢は「満員電車でお腹を壊しトイレに行きたいがいけない」そんな時に「漏らさないようにする」ことが我慢です。
他に代替できない最終手段というか、自己犠牲の最終形というか。
「きっといいことがあるはずだ!だから我慢」とこの例から抽出でき、これを悪用する人が大勢いるんですよね。
我慢できる=それにより利益が持たされれることを約束された立場であり、それが満たさないとできない行為。
また我慢と自制は次元が違い、自制の中のたった一つの手段に我慢があるだけ。
我慢できないと「当人にが悪い!」と責任を押しつけられますが、我慢できない環境に責任を向けるべきなんですよね。
我慢で得するのは「我慢している側」じゃなくて「我慢を強要している側」です。
支配するため、コントロールするため。
我慢を多用する人、まるで優秀な人間に必要な要素として使う人からは逃げること。
相手にしないこと。
