2021/4/1

完成したいという快楽から考える「一旦寝かす」の有用性を考える  1日まとめ記事

何か課題や作品を作った後、1日寝かせてからもう一回やると修正箇所が見つかりやすくクオリティアップにつながる確率が高い。

実感はありますし時々やるんですが頭の隅っこで「オカルト的」とどこかで思ってしまう。



合理的なはずなのに。


時々ここのブログで書く記事もそうしています。

一度記事を書いて数時間とか数日後に見返して修正する。

前の記事で「選択が快楽に傾くのは合理的で意志が弱いのではない」という個人的な発見をしました。

「意志が弱いとは?」も面白い題だと思うのでそのうち書いてみます。



この「快楽優先合理選択主義」なるもの、もっと略して「合理的快楽選択」を軸にして考えるとひとつの答えがでる。

クオリティアップとか相手にわかりやすいようにとかを考えても「完成させる」という快楽には勝てない。




それがわかってるなら「完成という誘惑」をシャットアウトする努力をすれば?ということなんですが。

現時点でのその疑問に対する返答は「快楽、完成欲を抑えることによる労力をなめるな!」です。

手段が目的化してしまう、完成してもいいクオリティなのに「いやまだのはずだ」と自己不信の方向へ陥ってしまうから。




もう人間は「無意識の内に必ず快楽な方を選択する」と言い切った方がいい。

この言い切りも「そうしたほうが楽、つまり快楽を得られるから」なんですけどね!

浮気ってめっちゃくちゃ多いじゃないですか。キープとか言って複数人付き合うのも。

これは不合理じゃなくて合理的なんですよ個人単位なら。第三者からすると不合理なんですが当事者には全く伝わらない。

第三者視点を得るには「壁にぶち当たる」「痛い目に合う」ことで「快楽ではなく苦痛だった」と思い知ること。

だけどそれは運要素があってぶち当たる前に壁を見つけてしまうと「ぶち当たるのは苦痛なので逃げるまたは壁に沿って歩く」みたいな快楽方向の選択をしてしまう。

不意に。「きもちいいいいいいいい!!」と叫びながら直進しないと壁に当たりづらい。





合理的快楽選択からは逃げられない。逃げようとする労力は手段のはずなのに大変なので目的となってしまう。

なればどうするか、ですが「とりあえず完成させて快楽を与える」ことが一番な気がします。

今書いているこの記事も実験的に「まず完成させること」を純粋に第一目標にしていて「後日修正する」前提で書いています。


天秤。「完成という快楽を抑えて時間をかけてミスがないように書き上げる」

「まず完成させて後日修正させる予定を入れる」

どっちの苦痛の方が嫌か。

明日野郎は馬鹿野郎という慣用句がありますが、この場合は苦痛の度合いを下げるため後者つまり「明日の自分に任せる」の方がいいんですよね。

分業って偉大だな、て思いますよね。1人で完結しないといけない場合こうやって快楽を軸に自分の癖を考慮しなければならない。

そうしないと「第三者的目線」が得られない。

「脳は簡単にスイッチングできるんだ!」という教えを受けていたんですが「グラデーション」であり「常に前の行動に影響を受けている」のは明らか。



いっそ快楽に素直になった方が計画を立てやすいんですよね。

その快楽から逃げることはできないんだから。

だけどこの考えからの答えの行先はフレキシブルじゃなにといけない。


今回の題、完成させた後に寝かす、は完成という快楽には勝てない前提だと納得できる計画。


勉強をしないといけないのに目の前の快楽、ゲームをしたい!場合はじゃあゲームをやって後日勉強するのか?となると違う。

ならばゲームができない環境を構築したりゲームはまやかしだと言い聞かせる。




快楽が邪魔するならまず快楽を消費させる。

「無視した方がいい快楽」と「従った方がいい快楽」の分類分けが必要そう。

分類わけのヒントは「ちょっと長い目で見たと時に自分のためになる選択」かな、と。

この相反する二つを使い分ける必要がある難しさ。

今後もっと深掘りしていきたいと思います。
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