2021/6/10

漫勉安彦良和、を見て、作品とは自分自身だと踏ん切る必要性があると思った話  1日まとめ記事





めちゃくちゃ漫画を描くのが早い。

自分も描くようになったらこそ出てくるカウンター的ツッコミなんですが、

「じゃあ時間かけて作った方がもっとうまくできるよね?ということは手を抜いて妥協してるってことだよね?」


というもの。時間をかければかけるほど上手くできるとは限らないけど、時間をかけると絵のクオリテイが上がるのは確か。

「速描き故の味」よりも「単純にクオリティを上げられるのに、時短を重視し上げないことへの妥協の恐怖」が勝つ、ということ。





その悩みというは誰しも持つものだと思いますが、描いているうちに「納得できなくても時短を優先させないと時間が足りない」という壁にぶつかる。

それを無視してクオリティを上げることに時間を使う道を進もうとするも、よっぽどの自信がないとくじけるんですよね。

だからといって納得未満のクオリティ、「時間をかければもっと上手くできる」を押し殺すってかなりの自傷なんですよね。




本当に時間。意志とか楽しさとかよりも時間が押し寄せてくる。時間の優先度を上げないと「生きる」ことすら難しくなる。

「質」と「時間」でかち合いどんどん心が不調をきたしてくる。




そんな中安彦良和さんの慢勉を見終わった今の心境。

「自分自身が作品」と、素人だろうが絵が下手くそだろうかそう思い込まないとやってられないな、と。

逃げ道、折衷案、自分を守るための術。

作業時間も含めたのが作品。「時間をかければもっと上手くできる」という言い訳じみた悔いも内在された作品の一部と位置付ける。



上手い作品を見てばかりいると、確かに勉強になるし自作に活かせる。

それが故、完成した後に「足りない箇所」を見つけられ直してくなり時間をかけてしまう。

時間、時間は正義。
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