2021/6/12

【生産側の傲慢】細かく、一つ一つに意味をもたすと質が上がるという哲学  1日まとめ記事


生産側の楽しいところはあらゆるパラメータをいじれることですが、それ故事細かに「意味合い」をつけようとする。


だだっ広いキャンパスに宇宙を描く時何千個もある白い点それぞれに意味を持たせる、とか。


でもそんなこと消費者にとってはどうでもいいし、消費者はぱっと見の印象とその後の維持性を重視している。




生産側はそんな消費者をどうみるかというと「わかってないな」と己の自尊心を守るために思うんだけど、俯瞰すると「無闇に時間をかけてしまった」という反省点なんですよね。



元々消費者だった側が生産者になるきっかけの一つに「生産者のこだわりに惚れたから」もあるあんですよね。

書籍等の説明を見て「なるほど!」とよりその作品への理解度が上がった瞬間の喜びを再現したい欲。

だから「なぜこれはこうなんですか?」と消費者に尋ねられた時絶対答えられなければという使命感がある。



でもそれはどうでもよくて「なんとなく」でいいんですよね。

そう答えることの恐怖。薄っぺらい作品なのでは?と疑われる恐怖。


でも、やっぱ時間なんですよ。時短のためにはあらゆる努力をしなければならない。

だからいちいち意味なんて作らなくていいし、己の自信のなさ故に見た目が不評でも内実を知ったら高評価になるはずだという保険のためにいちいち遠回りしてはいけない。

時短。時短を軸に考える。

一定の質を保ちつつ時短。



あとこれって「すぐ怒られる環境」にいたことも「意味をつけないと怖い」に該当するんだと思います。

「嫌い」「好き」だけという感覚だけでは許されず、他のもっともらしい理由がないと感情を否定される。

「ピーマンが嫌い」に対して「栄養があるから食べないとダメ」と言われれば己の感覚を否定することに慣れてしまう、みたいな。


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