2022/1/3
諦め、の人生質向上への還元がわかった気がする 1日まとめ記事
年末年始のテレビは面白くない。テレビ6年くらいみてないけど。
今年もそうだったらしいけど、面白くないものを作る技術も重宝されるんだろうな、と。
親戚だったり離れ離れの家族が一同に会う中で、面白かったらその人たちのコミュニケーションを阻害する。
面白くなかったら間を持たすための情報、「おもしろくないな」という共通の話題もだせる。
全世代に面白く感じさせる番組よりも、面白くない番組を作る方が楽。
面白さを追求すればするほど面白くなさが際立ってしまい、作り手側の精神も病む。
ならいっそのこと諦めて面白くない番組を作ろう、と。
この諦め、は大事で諦めずに頑張った方が良い成果がでる呪いから解放される。
60年は生きる可能性が刹那的な選択の連続を迫られる今の社会。
楽しいからと中学4年生にはなれず、高校留年しても同級生みんな留年するわけもなく。
諦めないことが不利になる社会に今はなっていて、一つのことに心中するリスクがあまりにも高く自己責任として見放される。
時間経過という逆らえないルール上で一つしか選択できない。
毎秒何かを諦めていてる。
