2022/2/21

「嫌なこと」の判断基準が「自分」「社会」の2つの割合  1日まとめ記事



嫌なこと、許せないこと。

「自分」と「社会」では判断基準が異なる。

このバランスが非常に難しい。

難しいし、「社会」の優先度が高い人が多い印象。

ここの優先度が低いとむしろ非難される。


自分との価値観が合致してるから、ではなく得するから。

相手を自信満々に非難できるから。「それはおかしい」と指差して大声で晒す許可を得た気分になれるから。


嫌な書き方をしましたが、社会は本当は不可能な「全国民の価値観の一致」が存在している前提で構成されることで、お互いを信頼して生活を営んでいるというのが僕の考え。

なので判断基準が「社会」の方が生きやすい。 


でも、個人の割合が高くないと生きていけない人もいるんですよね。

なぜ生きていけないか、「生きてる実感」を得られないから。

「自分の感情を殺す」感覚を知ってしまったから。

己の感情を蔑ろにされた経験してしまったがゆえの感情。

蔑ろにされて生まれた感情なのに、それを優先させるとさらに攻撃され蔑ろにされるジレンマ。


鋼の錬金術師の終盤、名前忘れましたが階級高い女性キャラがどちら側に着いたらいいか狼狽えてる一般兵に対して「自分で考えろ!」と一喝する場面。

時折その場面を思い出すんですが、メッセージとしては言葉そのまま組織に支配されず自由意志を忘れないようにしようみたいなことだと思います。

でも、現在の僕は否定的で「作者は組織を理解していなく、強い立場から一方的に正論を投げつけるパワハラ的場面」だと思っています。

なぜなら、組織に属す以上、感情は「組織」優先になるから。

個人の感情は邪魔。組織の役割は感情を統一させること。

「個人」と「組織」を完全に切り分けること。

汚れちまったなお前、と思える考え。


だけど、ほとんどの人これできてるし無意識にしてますよね。

お互い求めていますし。



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