2011/12/3

再生産によって純化するライトノベルの本質・・・「僕は友達が少ない」  
 

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■ ライトノベルはゴミだ!! ■

世間には「ライトノベルはゴミだ」という意見が氾濫しています。

「純文学とは比べるまでも無く、文章も内容も稚拙で商業主義に墜ちたジャンル」だと。


まさに、その通りのご意見で、返す言葉もありません。
そんなアンチ・ラノベ派がその批判の矛先を向ける最近の作品がこれ、
「僕は友達が少ない」・・・略して「はがない」。



酷評サイトから拾ってきたページのコピーですが・・・

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ウ!!これは酷い。
ゴミを通り越して、危険物の領域に達しています。

■ 「僕は友達が少ない」は面白い!! ■

オ、「人力さん、今日はめずらしくライトノベルに批判的」とお思いになったでしょう。
オット、ドッコイ!! これから私は、手のひらを返してこの作品を全力で擁護します。


母親がハーフなので、図らずも茶髪の羽瀬川 小鷹(はせがわ こだか)は、
父の仕事の都合で、幼い頃に暮らした街に妹と二人で越してきます。

転校初日、バスを乗り間違えて遅刻した彼は、必死の形相で教室に到着します。
「茶髪転校生が鬼の様な形相で教室に入って来た」のですから、
同級生のみならず、先生までもが、ドン引きです。

こうして、羽瀬川 小鷹の転校ライフは最悪のスタートを切り、
それ以来、彼は「友達の居ない」存在として日々を送っています。

そんな彼が在る日、忘れ物を取りに夕暮れの教室に戻ると、
なにやら女の子の楽しげに語り合う声が聞こえてきます。
遠慮しながらも教室に入ると、そこには三日月 夜空(みかづき よぞら)ただ一人が居ます。

・・・誰と話していたのだといぶかる小鷹に夜空はこう言い放ちます!!

「私は『エアー友達』と話していたのだ!!」

ウヮァァァァー!! 超イタイぃぃぃぃーーーー!!

でも、キタァァァーァァ!!・・・掴みはばっちり!

子供の頃から友達の居ない夜空は『エアー友達』の『ともちゃん』と、
何処に行くにも、何をやるにも一緒だったと臆面も無く言い放ちます。
『ともちゃん』は決して私を裏切らない・・と。

「そんな事より部活でも入れば?」という小鷹の問いに
「2年生になって入部しても、既に出来上がっている人間関係に割り込む事で
 皆が気まずくなる」と夜空は否定します。

ン?!この展開、どこかで見たような、聞いたような、読んだような・・・・。

後日、小鷹は夜空に放課後連れ出されます。

「小鷹、私は部活を作る事にしたぞ、『隣人部』だ!!」
「『隣人部』とは、友達を作る事を目的とした部活だ!!」


オイ、オイ、そう来たか・・・。
これはもう確信犯ですね!!

■ ハルヒのコピーが小気味よく暴走する ■

「部活が無ければ自分で作ればイイのよ!!」とは『涼宮ハルヒ』の名言ですが、
ここまでストレートなコピーはむしろ気持ちが良い。

『ハルヒ』はラノベの皮を被ったSF小説でしたが、
ラノベよ良く知らなかった谷川流はラノベを客観的に良く研究しています。
ラノベをラノベたらしめる要素まとめてみます。(異論はおありでしょうが)

1) 類型的な美少女キャラを揃える
2) 主人公はダメなほうが良い
3) 主人公は自覚しない特技があるほうがいい
4) 男女の主人公の間の恋愛感情は徹底的に無自覚が良い
5) 主人公の性格は幼稚で独善的な方が良い
6) 学校を舞台としなければならない
7) 都合良く事件が起きて、都合良く解決される必要がある

『ハルヒ』はSFをラノベに仕立てる為に、意図的にラノベ要素を増幅しています。
その事によって、図らずも『ハルヒ』はラノベとしての支点を提供する事となります。

『ハルヒ』を読んで育った世代のラノベの作家達にとって、
ラノベは『ハルヒ』によって規格化されたジャンルです。

よって当然『ハルヒ』後の作家達は、
『ハルヒ』を模倣する者と、距離を取る者に分かれます。
距離を取ると言っても、ラノベの本質は変わらないので、
結局はロボット物になたり、学園ドタバタ物になったりする程度ですが・・。

ところが『平坂読』という作者の選んだ方法は
徹底した『ハルヒ』の模倣でした。
『ハルヒ』からSF的要素を消し去り、
徹底してオタク表現をポジティブ・フィードバックして
ライトノベルのハウリング状態を作り出しています。

『隣人部』に集うのは、友達が居ないと自称する人々。

黒髪の美少女で、頭脳明晰ながら独善的で友人の居ない部長の『三日月 夜空』。
学園長の娘で、ハーフで金髪巨乳で頭脳明晰ながら人を見下す『柏崎 星奈』。
男子ながら?美少女顔負けの容姿で、男らしさを身につけたい『楠 幸村』。
ロリキャラのシスターで何故か学園の教師の『高山 マリア』。
理系の超秀才ながら、理科室登校の問題児『志熊 理科』。
主人公の妹で、吸血鬼のアニメに嵌ってその役を日常で演じる『羽瀬川 小鳩』。

もうこれ以上ベタは無いというくらいベタベタのキャラ達は、
日々隣人部に集い、ゲームやら水泳やら、カラオケやらで、
『リア充』達の遊びとやらを、模倣して、将来出来るであろう『友人』に備えます。

この「友人ごっこ」の描写が秀逸で、
ゲームでも、カラオケでも、
友達同士の遊びに暗黙のうちに存在するルールを逸脱すると、
日常の遊びはこんなにもシュールなものになるのかと
抱腹絶倒してしまいます。

■ 「恋愛」を認識しない関係 ■

ライトノベルの成因の一つに『恋愛感情をあえて認識出来ない』というものがあります。
健全なティーンですから恋愛感情を認識したら、後はやる事は決まっています。
生物学的生殖行為の事で頭が一杯で、ライトノベル的なドタバタも、冒険も、
あっという間に色褪せてしまいます。

読者にしても、「ケ、このリア充どもめが、クソ、シネ」と言って、
本を破り捨てるか、火を付けるか、トイレに流すかいずれかの行動を取るでしょう。

そう、ライトノベルにおいては、登場人物は非日常的設定においては、
どんなに「超人」でも「美男・美女」でも構いませんが、
読者が「日常からあえて隠している」恋愛においては、
決して「完全勝利」を治めてはいけないのです。

そんなモジモジした恋愛に読者達は自分の姿を重ねているのかも知れません。


勿論ラノベの世界では、何故か「落下」してきたヒロインが、
いきなり「あなたは私の運命の人」ですって感じで主人公に意味も無くゾッコン。
そんな女の子を何人も侍らせて・・・なんてのが主流です。
この際、そんな「カストリラノベ」の存在は完全に無視して話を進めます。
(カストリラノベは若者のリビドーを直撃して大人気ですが・・・)

■ 「友情」を認識しない関係 ■

ところが「僕は友達が少ない」では「恋愛」どころか
「友情」を認識しない子供達が登場します。

『隣人部』に集い、日々ゲームや遊びに興じていれば立派な友人ですが、
彼らはそれを『友情』とは認めていません。

彼らにとって『友情』とは何か特別で、崇高な物の様なのです。

私達の青春時代に「お前友達居る?」と聞かれたら、
確かにいつも一緒にいる何人かの名前を挙げたでしょう。
でも、実は中学時代に友人として認めているのは、一人だった様に思います。
高校時代は、私も「友人」は居ませんでした。
(いつも一緒に居る知り合いは大勢居す)

若者に「友人(親友)」は居るかと聞けば、
今も昔も似たり寄ったりの状況でしょう。

心の回りにATフィールドを展開して、
なるべく本心をさらけ出さないのは、
今の若者に限った事ではありません。
思春期特有の、自我が無用に肥大化した若者には
心の中を他人にさらけ出さないというのは、当然の自衛行動です。
たとえ仲の良い間柄であっても、
自分の負の面を指摘されれば傷つきます。

ただ、私達の時代までは、

勉強やスポーツが出来るヤツは偉い。
運動会で1位を取るやつは偉い。
テストで100点を取るやつが偉い。

こういうヒエラルギは、疑う事の無い現実でした。

ところが、現在の若者、特に男子は母親が溺愛して育てます。
「オマエはやれば出来る子ちゃんなんだよ」
「オマエは特別なんだよ」
「オマエはきっとお父さんよりも偉い人になるよ」
そう言って子供の自我は、小さな器から溢れんばからにに肥大化します。

パンパンに膨れ上がった自我は、ちょっとの傷で弾けます。
友人の、心無い一言で崩壊します。

だから、「俺にとって辛い事をいうコイツは友人じゃない」
「友人は俺を傷つけたりしない」
「友人じゃないコイツが何を言おうが、全然気にならない、
 だってコイツは俺にとて無意味な存在だ」
という論理で、友人は世の中から消えてゆきます。

最近の子供達は、いつも一緒に居て気の合う様に見えても、
相手の事をいつも否定的な目で評価しています。
ですから、付き合いが深く成るほど、関係が悪化します。

表面上の友達付き合いしかしていない子とは楽しく過ごしますが、
そういう関係はクラス代えによって、自然消滅します。

昔からそうだったと言えば、そうだったのかも知れません。

■ 「情緒」を臆面もなくさらけ出すライトノベル ■

『僕は友達は少ない』をそんな友達の居ない部員達の
ちょっとイタイ関係をコミカルに描いています。

毒舌の限りで相手を罵倒出来るのは、相手を友人として認めていないから。
夜空は巨乳キャラの星奈を、悪意を込めて「にく」と呼びます。
でも星奈は小鷹にこう打ち明けます。

「『にく』って呼ばれてちょっと嬉しかったのよ、
 だって、あだ名なんて初めてだったから・・・」

ウヮァァァ、イタイ!!
でもグッと来るものがあります。

海外のどんな小説を読んでも、こんあセリフとは出会う事はあえいません。
自分を「にく」と読んだヤツは、末代までの敵です。呪い殺します・・・。

ところが、日本人にはこのセリフがたまらなく嬉しい。
ちょっと自虐的で、そいれでいて無防備で、
救うことが出来ない程「非論理的」です。

「情緒」という言葉が一番適切なのかも知れません。
「情緒=非論理性」とするならば、「情緒的」は褒言葉では無いのかも知れませんが、
「情緒」を共有する文化は、日本独自の文化です。
「空気」の共有と言っても良いかも知れません。

ライトノベルはこの無防備な「情緒」が一杯詰まっています。
これを「慣れ合い」という言葉で表現する事は簡単です。

しかし、日本の優れた文学作品に低通するのも、
実は、この「情緒」であったりします。

犯人と刑事が、窓を落ちる雨だれを黙って眺めていたとします。
日本人はそこに犯人と刑事の心情を読みとろうとします。
これを「情緒」と呼ぶのであれば、
優れた文学作品は、優れた「情緒」が描かれている作品という事になります。

『ハルヒ』があんなに支持されたのも、ポップでカラフルな表層とは裏腹な、
ハルヒやキョンの「情緒的」でウェットな面が支持されたからかも知れません。

子供に至るまで、その感覚を共有している日本人はやはり特殊な民族で、
それ故に、私はとても「ポップで情緒的」な『僕は友達が少ない』を、
単純に、技術や内容が稚拙だと切り捨てる事が出来ません。




って言うか、『星奈』のキャラはカワイ過ぎでしょう!!



■ アニメのシナリオだから、立ち読みで十分 ■

ちなみにこの作品、さすがに私もレジに持っていく勇気はありません。
アニメで内容は知っていますので、
本は書店でナナメに立ち読みしました。
ラノベの原作は、アニメのシナリオです。はっきり言って。
ただ、太字フォントや、大きな字がページを占拠したりしていて、
ビジュアル的に本を読まそうという試みがされています。
(現代文学で一時流行ったような・・・。)

さて、息子に立ち読みの話しを自慢したら、

「お父さん、頼むから本屋でラノベを立ち読みしないで。
 良い歳して恥ずかしいから・・・。
 立ち読みするくらいなら、買ってよね」

と諭されました・・・。
私としては、この内容で一冊580円は勿体ない。
中古で420円も高すぎだろうと思うのですが・・・。

って、オマエはラノベを褒めているのか、
貶しているのかハッキリしろと言われそう・・。




<追記>


なんだか取りとめの無い記事になってしまった次いでに・・・。
今、高校生の間では『ギルティークラウン』というアニメが人気でしょう。(多分)

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スタジオIG(押井守のプロダクション)の製作だけに、
映像も美しく、物語の設定もしっかりしています。

謎のアポカリスウィルスのパンデミックにより東京は崩壊します。
外国の『GHQ』という統治機構によって日本は平穏を取り戻しますが、
GHQの統治は暴力的な側面も多く、
『葬儀社』というテロリスト組織がGHQに抵抗しています。

普通の高校生、桜満 集(おうま しゅう)は、
謎の少女楪 いのり(ゆずりは いのり)をかくまう事から、
『葬儀社』の一員として闘う事となります。
彼は、人間の魂を具象化した『ボイド』を取りだす能力の持ち主です。

とまあ、そんな近未来SFです。

桜満 集の悩みは、やはり友達が居ない事。
シュウは戦いながら、人と深く係わる事を知り、
友情や愛情に目覚めて行くのでしょう。


さて、図らずも「友達が居ない」という共通のテーマを持つ、
「僕は友達が少ない」と「ギルティークラウン」ですが、
もうテーマの掘り下げ方のユニークさと、
オバカな妄想の暴走的破壊力において、「僕は友達が少ない」の圧勝です。

「ギルティークラウン」のキャラクターは薄っぺらで魅力が乏しく感じます。
IGの若手は、押井演出に憧れているのでしょうが、
押井演出は人物の背景に人生をにおわせるから、出来る芸当であって、
若者がやったら、ただのスタイル化されたキャラクターになってしまいます。

多分「僕は友達が少ない」の支持者は、将来友達が出来そうですが、
「ギルティークライン」の支持者は、ナルシスト的で将来が心配です。

■ 海外小説に見る「エア友達」 ■

エア友達なるものが平坂読の発明かと思いきや、
海外の小説の中にもエア友達は登場します。

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主人公は愛する妻にアクセサリーをプレゼントしますが、
それを造っていたのは、妻のエア友達のフィールドヘッド氏だった。

フールドヘッド氏は幼少の頃、一人遊びが多かった妻が、
心の中で作ったエア友達が実体化した存在だったのです
・・・というミステリータッチの短編。

作者のジョナサン・キャロルは、
ノーマン・ロックウェルのイラストの様な街で
若い男女が不可解な事件に巻き込まれる様を描いた「死者の書」で
1990年代に一矢を風靡した女性作家で、
ダークファンタジー的メタフィクションの名手です。

「パニックの手」は彼女の短編集ですいが、
短編の書き手としての非凡な才能が余すところなく発揮されています。

必読です。

■ 今日の記事は、ただこの抱腹絶倒の動画を紹介したかっただけ ■


「僕は友達が少ない」というタイトルを批判する、
ニコ動の動画が大人気です。

もう面白くて、面白くて、娘と息子と大笑いしています。


http://www.nicovideo.jp/watch/sm16179932?via=thumb_watch

リンク先に飛ばない場合は、

「僕は友達が少ない」というタイトルが許せない男の話

で検索してみてください。

良く良く聞くと、ラノベ愛が滲んでいる所がまた笑える。



<追記> (2011.12.07)

どうもツイッターなどを見ていると、この記事を「ライトノベルの否定」とか、
「平坂読氏への批判」と受け取られている若い方が多いようです。

付き合いの永い読者の方は、おわかりかと思いますが、
この記事は、中年のライトノベル読者が、
テレを隠しながら書いた、最大限の賛辞です。

平坂読氏にしても、卓越した人物観察の眼の持ち主と敬服しながら、
毎週、娘とアニメを楽しく拝見しております。

本来は原作を買うべきですが、ちょっとハズカシイので、
オヤジ達の集うこのブログで紹介する事で、
オヤジたちが、子供の本棚からこっそり借りて読むきっかけになればと・・・。

ついでに何かの縁でこのページに辿りついた若い方、
「アニメ」や「本」の項目を覗いていって下さいネ。

ツイッター等で、またご批評頂ければ、参考になります。
9

2013/5/16  7:47

投稿者:人力
歯がない? さん

一時現代文学が試みた、「視覚としての文章」の実験を、遊びとしてやっている所は思わずニヤリとします。作者自身には、そんな気持ちはサラサラ無いのかも知れませんが、むしろマンガからの影響なのでしょう。

まあ、いろいろ「やってはいけない事」をあえてやる事で、何かと窮屈な大人の文学に挑戦している様で、私は面白いと感じています。

しかし、それだけでは単なる悪ふざけになってしまって、そこら辺の大学の文芸部こ子供達でもやっていそうですが、やはりキャラクターの造形とその使い方が秀逸です。

突き詰めて行けば、西尾維新に繋がって行くのでしょうが、そこまではとても・・・・。

2013/5/15  18:35

投稿者:歯がない?
はがないは一部で文章力の低さなどがひどいと徹底的に酷評されてますが、これって
どう見てもわざとやってますよね?
つまりあえて質の低い文章を書くことでこの作品のテーマである『残念さ』を出して
いるわけです。
酷評している人はこの作品の本質を読み取れていない。

そこが面白いところであり、この作品の秀逸さなんじゃないでしょうかね。
ある意味でもっともラノベらしいラノベでありながらラノベでも珍しい小説として
掟破りのことを徹底的にやってる感じ。
(今までラノベでも文章のフォントサイズや太さを変えている作品は見たことが
ありませんでした)

この作品のひな形はやはりハルヒのパロだと思いますが生かし方がうまいん
でしょう。

2013/2/24  17:50

投稿者:人力
ぴー さん

2期は失速するかと思いましたが、リカちゃんの魅力炸裂ですね。ヤラレました・・・。

2013/2/24  14:50

投稿者:ぴー
友達ごっこの描写などの個々の描写に惹かれた作品でした。私も典型的な作品だなと思いながら面白いと思うのは、個々の描写にあると思っていました。

2011/12/4  9:20

投稿者:人力
鍛冶屋さん

「ぼくらの」・・・本来ならSF小説で扱うネタですが、漫画やアニメはSFでは表現出来ない人間の感情の機微をこれでもかという程にえぐり出してきます。

表現形態として優れた漫画やアニメは、情報量においても、表現力においても、小説などは手の届かない地平に到達しています。

小説は情報量が少ない事を、読者の想像力で補完させます。ですから、読者の資質が問われます。優れた小説はあえて情報量を抑制することで、想像力による補完の余地を拡大しますが、それ故に、読書力が不足すると、作品を読む事すら出来なくなります。

ラノベはアニメのシナリオですから、もう至れりつくせり状態で、登場人物の心情まで全部書いてあるから、子供達には読みやすいのでしょう。

しかし一方で、そういった「心情」を確信犯的に伏せている作家も居て、そういった作家の作品は、大人が読んでも楽しい作品となります。

最後に私も絶対「黒猫」派です。当然、「はがない」では「夜空」を支持すべきなのでしょうが、ハルヒの「陽」の面だけを一身に継承する「星奈」にはちょっとヤラレテしまいました。・・・そうすると夜空はハルヒの「陰」の部分の継承者なのでしょうね。

2011/12/3  12:20

投稿者:鍛冶屋
"隣人部"、たしかに活動内容は平和時のSOS団と変わりないですよね^^)。

>『星奈』のキャラはカワイ過ぎでしょう!!
おっ!人力さんはそっちですか・・・意外とストレート・・・。
自分は、やっぱ"黒猫"派、いやあのキャラはイカン!です^^;)。

--------
"ぼくらの"の考察、期待してます。

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