回廊の塚本邦雄
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« 夏ゆくと家の門昏みちちははの在らざる影や茅の輪くぐれる
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をさなづま否かなしみをめとらむと左右にわかれつ夜の花空木 »
2006/10/12
「白罌粟のみのるは見つつ水無月のたまゆらにして詩歌涸れたり」
燃えるような赤い罌粟を前にしたら人は思わず我を忘れて絶叫してしまうところを白罌粟の故であろうか、<詩歌涸れたり>とまで言ってしまった。水無月が時期を表すと同時に水無月ゆえに涸れるという構造を持つ。この世の光景とは見えない、異星での出来事のように思えてくる。風のない風景に微かに揺れている白い罌粟、詩歌の終焉には誠に相応しい花ではないかと思う。(星17)
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投稿者: 枯秋庵
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