ここに住み始めたのは1988年だから、今年で足掛け29年。その当時人口は18,000人くらいいたらしいが、今は、15,000人を割り込んでいる。
本州方面の方は信じられないかも知れませんが、これほどの小さな町に県庁に相当する支庁という行政機関がおかれています。パスポートの申請もできます。
国鉄時代に胆振線、岩内線の起点として栄え、また、豪雪地帯の利点を生かしたスキー場も世界レベルで有名になった。
札幌から中山峠を越えて川遊びなどに興じていた学生の頃には、まだ胆振線を走る列車を時々見かけた。喜茂別、大滝、北湯沢を通過して伊達紋別で室蘭本線に接続していた。その頃の北海道には開拓のために張り巡らされた鉄道網があり、観光客は、道内を走る列車を自由に乗れる「周遊券」を片手に津々浦々まで足をのばしたものだ。今、つながっていた路線網は不採算路線から廃止され、ぶつ切れ状態になった。
函館まで来ている新幹線が、あと15〜6年先には札幌まで延伸される予定だが、今現在、長万部から小樽までの函館本線在来線は、乗降客の減少により廃線されるかも知れないという。北海道に住み始めてから40数年、時代は本当に変わった。
観光客は広さを求め、住民はコンパクトさを求める。両方満たすことはできないものか。

倶知安町の夕暮れ。

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