ドカドカとCDが入ってきて
バタバタとLPレコードが入ってきてを
何日も何日も繰り返していて
どこから手をつけていいか判らない状況になっている今が大好きなのである。
昨日今日はストーンズを整理していて、その歴史の長さに比例してアイテム数も多く、初期は特にコンガラガッていて、同じタイトルなんだけどメーカーが違ったり、帯が違ったり、あー、もう面倒くさいと思いつつも、棚まで歩いては「ドイツ盤のアラウンド・アンド・アラウンドね。今まで店頭に出してたのはバーコードのない再発ね。今日入ったのはバーコードが入ってるやつね。住所は・・・どっちもハンブルグ・・・」とか細かい違いをチェックしつつも楽音舎の上の階に住む北大生と世間話をしていたんだ。で、彼が帰った後、ちょうどストーンズのレコード群も終わり近くなり、カウンターに残っていた最後の一枚のストーンズを出し終わると顔を出したのがケイト・ブッシュちゃんだったんだ。「あ〜、こんなものも入っていたんだな〜忘れてたぜ」・・・
プカプカ煙草をふかしながら、
「そういえば、オレはこういうロックが一時大嫌いになってたな〜」
ってことを思い出していた。なんで嫌だったかっていうのは、
「精神病院にいたんだよ、彼女は・・・」
とか、なんというかロックの中に成り立っているそういった類の負のイメージの付加価値、不健康自慢、その他、マイナス要因が売り文句になりえるように感じていたのが妙に嫌だったんだと思う。そのときは。
高一の夏、当にぴかぴかの新譜で「魔物語」をジャケ買いし、音楽も純粋に素晴らしいと思っていたのに、
「こんなの嫌だー」
と思うようになろうとし始めていたのは多分、社会人になってから今度は大人ぶりっ子を始めようとする20代中盤前のことだったと思う。
あの頃から僕はロック・ヒーローを疑うようになっていた。
「シドの何がかっこいいんだ!ただのジャンキーだ!」
「ボウイもルー・リードも偽バイ・セクシャルだ!」
とかその時は言っていたような気がする。
大人ぶりっ子からもう20年は経って、今、当に偽大人と化したと自認するようになった僕が今日考えていたことはそんな下らないことで、今では偽心の丸いおっさんになっていて、
「人が何を好きでも、何が嫌いでもその人の自由なんだ・・・」
と諦めもついているし、オレが若かりし日に思っていた頑固で偏った考え方も、成長過程の仕方の無いことなんだ。みんな許してくれ!あの頃のオレを!
と、思いながらも我に返り「キレイなねーちゃんっていうだけじゃなくって、今なかなかこういうシンガー現れなくなっちゃったな」と思っていた。
危ないけど、どっか母性本能を持ち合わせた声質。不思議だし、色っぽいし、やっぱ子悪魔だな。うん。
もし、あの頃のオレの前にケイト・ブッシュが現れたら、オレは、オレは、嫌いなんだけれども、「やすしちゃん、どうぞ」といわれれば間違いなく「うぉー」と飛び込んでいっただろう。コロっとあの胸に・・・
ま、簡単な話、売り文句や戦略的イメージ抜きに、本物の危なさ持っていたねーちゃんだったなって言いたかったのさ。

0