8/6 夜7時ころ家を出る まだまだ夏は元気!暑くてトンネルを抜けると少しは涼しかろうと湯沢まで走り、泊まりとなる
8/7 しかし、あまりにも暑く、時間はたっぷりあるのだが早朝出発、新潟10:30小樽へ向け出航
8/8 早朝小樽の明かりが見えると、気分高揚。
下船すると札幌の葉子宅へ直行、春休み以来の孫との対面にしばし、じゃれあった後キャンプの準備、早速庭でソーメン流しもやった。
8/9 猿払キャンプ場へ向け出発、途中名寄のひまわり畑で休憩、クッチャロ湖見学。
キャンプ場のとなりは牧場、芝生にテント張る、実に7〜8年前八ヶ岳で張って以来で ある
まあまあのキャンプ場、夕日の中の牛たちが印象に残っている
8/10 いよいよ最北端宗谷岬へ、意外と街のハズレが岬である、人も多かった、ギターで宗谷岬を歌うほど余裕はなかった
風車発電の林立する場所を通過して稚内へ、
宗谷ふれあい公園キャンプ場は予想通りの高級キャンプ場であった。
電気水道が各サイトに完備されている、最初ほかに客はいないのかと思ったが三々五々現れる。
薄暗くなったがソーメン流しも孫たちはきゃーきゃーと喜んでくれた。
しかし雲行き、風は台風の到来を告げるのであった、果たして今夜は?
8/11 夜中2時頃あまりの風でテントがひっくり返るのではないかと起きて、手抜きしていたペグを打つ、妻はひとり車に寝た。
いやーまいったまいった、朝はすぐにテントを撤収して管理センターへ、ここには体育館
位の大きな遊ぶところが有り、子供たちはしばし三輪車や遊具で遊ぶ。
どうやら利尻便は欠航となり、大人たちはどうしようと話し合っている。
◆雨の中のテント、確か7年前も八ヶ岳でやられた、もういい加減に終わりにしろという神のお告げか、思えばまだアウトドアという言葉が聞かれない昭和50年ころから始まったファミリーキャンプ、子供が一人二人と増えるに従い、スタイルも変わっていった。
もう三人になった頃か?フランスのマルシャルという高級テントを買った、知る人ぞ知るビンテージ物、当時30万円くらいだが見本で使ったので8万円ということで買った、木綿で快適であった、しかし手入れはきちっとやらないとダメになってしまう、今まで45年間大事に手入れ保管してきた。
おそらく最後かもしれない。骨組みと布合わせて30kgのテントは70歳の老人にはきつかろう・・・・・・ありがとうマルシャルテント、君に何十泊も世話になったね。
予約していた宿を一日早めてもらい豊富温泉ホテルへ
8/12 豊富温泉をあとにして、映画ロケ地跡へ、坂の上の雲?これまたロケ地アシモイ駅、nhkの朝ドラで萌という主人公が国鉄マンだった主人に先立たれ、強く生きていく女の一生を描いたドラマであった。
実は娘が北海道へ移ると聞いたときすぐに浮かんだのが萌の姿だった、彼はJR北海道だし。
サロベツ原生花園も見ごたえがあった、数千年かかって体積した草をピートモスとかという品名で肥料として売られていた、その採掘の機械などがありヘーッと驚きであった、尾瀬の保護活動と比較すると・・・・・
今夜の宿はオーベルジュ増毛、有名なシェフが企画したとか、増毛出身らしい。
さすがに夕食はハイカラであった
8/13 いよいよ旅も終わり札幌のボロ屋へ
石狩で「パークゴルフ」を楽しんだ。
8/14〜19
庭に滑り台を作ったり、プールに行ったり、サトランドへ行ったり、大通公園にラン チに行ったり、旧友と会ったり、あっという間に時は過ぎた
◆2週間のあいだ小2と2歳の孫娘とじゃれあい、毎日タイヤヒラメの舞い踊り、時の経つのも忘れた竜宮城だった。
しかし2週間も子供と遊んでいると疲れるものである、そろそろ帰りたい気持ちも湧いてくる、なるほど浦島太郎の気持ちがよくわかる
最後の19日妻は飛行機で、私は小樽から船で新潟へ、これにはワケがある。
当初私は小樽からさらに白馬に行って2〜3日予定があったので別々帰ることになったが白馬が中止になった、今更キャンセルできず別々に。
8/20 ワーゲンで日本最北端宗谷へ、内心トラブルがないかと心配であった。しかしその心配をよそにノントラブル実に頑張ってくれた。
が、最後にオチがあった
◆新潟から一路横浜へ、都内に入ったのがお昼ころだった、猛暑はまだギンギンと残って、おまけに渋滞である、関越高速から降り、環八に入ろうとする頃からプスンプスン?ん????・・・オーバーヒートだーーーーーー
若い頃から(今は走行25万キロの老人)都内の渋滞は曲者だった。
陸橋をくぐり曲がって後10mで環八というところでダウン、シャンシャン回してもエンジンかからず、このまま進んでも合流で一車線、あそこで止まったら大変な迷惑!まだ2車線、歩道側に移動したいが、もうしようがない。
道路の真ん中に止まった我が愛車バナゴンを迷惑そうに避ける運転手の横顔を見ぬふりしてじっと我慢・・・・・・・・20分くらい待ったろうか、どうやら渋滞は環八の事故処理である、向こうにパトカーが見える。
もうエンジンも冷えたかとキーをひねると目が覚めたかのようにブルンブルンと動いた、ちょうど事故処理も終わったようである。
かくして最後の驚かせを加えて、実に巧妙な構成のドラマは終わった。


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