野宿の愉しみ
「怪しくも、不気味な黄緑色の風景」
かって、釣りの仲間と「釣りダービー」なるものが流行ったことがあります。
それも、単なる「自慢話」の種としての「ダービー」から、海の魚の「スズキ」などは「スズキ釣りダービー」と銘打って「参加者」を募っての「競技」でした。
その当時の「釣り仲間」の拠点は「アブ」と言う名の「喫茶店」でした。この喫茶店を中心に「釣り人」が集い、「自慢話」に花を咲かせ、「スズキ釣りダービー」なども組織されていました。
「12月」になりますと、「竿納め」の儀式があり、かなりの「賞品」を準備しての「表彰式」が行われていたものでした。
これとは別に、職場の方にも「釣りクラブ」が「結成」されていました。会の名称は「パーマーククラブ」と言うものでした。
「パーマーク」とは「サケ・マス科」の仲間の「幼魚」についている斑点であり、いわば「憧れの魚」である「渓流魚」の「イワナ」と「ヤマメ」を対象とした、「釣りクラブ」ということになります。
こちらの方は、「後輩達」が「組織」したもので、懇願された末にお付き合いで「会員」になった感じでした。「会」の目的も、「釣った魚」の大きさを「自慢」することにあったようでした。
例えば、「会議」などで、年に何回か「顔」を合わせますと、
「誰それが45cmの『ヤマメ』を釣った。魚拓も確認したが間違いなかった」。
と言った具合です。
ただこれだけのことですが、「会員各位」には大きな「インパクト」になったものです。
そんな時に「閉伊川」の「ある支流」に
「尺の『イワナ』がいる」、
との情報が入ってきました。
情報の提供を受けたのは、川井村の「閉伊川」の「川べり」にあった「喫茶店」からでした。
「ママ」は「年カッコウから、顔だち」など、「女優」の「木の実ナナ」に似た感じの人でした。
「釣り」の帰りには必ず立ち寄って、人の良い「マスター」の手料理を食べ、「コーヒー」を飲むのが楽しみでした。
夜に成りますと笑顔の絶えない「ママ」を慕い地元の若者も「集まる様子」であり、何の楽しみのない「僻地」に、「サロン」が誕生したようなものでした。
当然そこには「山と川」の情報がたくさん集まっていました。
その「支流」は、いつも水量が豊富でした。
また、「大イワナ」の好きそうな「淵」も沢山あります。
ただ、「沢」の岸辺の状態も開放的ですから、あまり藪漕ぎをしなくても「釣り」が出来ることから、「釣り人」の数も多い川でした。そのうえ中央の「釣りの雑誌」にも紹介されたとかで、「他所」からの「釣り人」も増えており「釣果」もいまひとつの感じの川でした。
「喫茶店」の「ママ」である、「木の実ナナ」さんも、
「あの川は朝まづめを狙うしかない、それと、餌は『砂虫」がいいらしい」。
と「土地の若者」の秘伝を教えてくれました。
「朝まずめを狙うとなれば、野宿しかないのです」。
「木の実ナナ』さんは
「うちで晩飯を食べて川に入ったら。ただし、クマに食われないように気をつけて」。
そんな「応援」もあって野宿することになったのです。
途中まで車で進みました。車を停めてしばらく歩きます。
やがて「渓流」は「3本」に分かれていました。「木の実ナナ」さんの情報どおり「真ん中」の渓流を進みます。
やがて、やや広めの「淵」がありました。どうやら「尺のイワナ」の住んでいる淵のようです。情報の通り、「周りは大きめの岩」で囲まれています。
あたりが「うす暗く」なりかけてきました。
近くの木の枝に「ツエルト」を引っ掛けてもぐり込みます。岩に耳を当てますと「ゴー」と「岩が鳴って」います。
まるで地球の奥の方で「振動」しているような音でした。遠く離れた「街道」を走る「自動車の音」がこんなところまで「響いて」いるようです。
夜中に「ふと」目が覚めました。
目の前を「火の玉」が飛んでいるのです。
「1個、2個」と大きな「火の玉」が通り過ぎます。
それが「ホタル」だということに気が付くまで「何秒か」過ぎました。
驚いたことに、目の前の「風景」がが明るくなっているのです。
暗くて見えなかった「川べりの岩」や「柳の木」などが「黄緑色」の光に浮かび上がっていました。
あたり一面にどれほどの「ホタル」の数なのか、
「こんな光景もあるんだ」。
まるで「幻想の世界」です。
「ホタル」と分った瞬間から、それまでの「怪しさ」も、「不気味さ」もなくなっていました。
そして、いつしか「深い睡魔」に襲われ、再び、深い眠りにおちいりました。
次ぎの日は「晴天」でした。
「淵」をめがけての「第1投」は覚えています。
強い引きもありました。
しかし、記憶はここまでです。
その後の「尺のイワナ」の「記憶」も、もちろん「魚拓」も残されていません。
恐らく、何時ものように「マスター」の作った「朝飯」を食べ、「木の実ナナ」さんの入れた「コーヒー」を啜り、「おしゃべり」を楽しみ、
頭の隅には、
「あの素晴らしくも不気味な、『黄緑色の風景』を刻み込んで」、
帰ってきたように思われます。

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