野宿の愉しみ
「一晩に40回も地面が揺れた日」
不気味な野宿の中で、未だによく分らないでいるのが、「初冬」の「岩手山登山」の時のことです。
高校の2年(1952年)か、3年(1953年)の頃だと思いました。高校の仲間3人で「冬山」の「岩手山登山」に挑戦したことがあります。
「冬山」といっても十分な「装備」もなく。「厳冬期」の岩手山は無理との判断で、「初冬」の、しかもまだ雪の少ない「時期」なら、「なんとか『登山』が出来そう」と言うことになったのです。
一応、高校にも「登山部」があったと思いました。何分にも「定時制」の高校ですから、「国鉄」に勤めている人、「警察」に勤めている人、あるいは「農業」など、時間の「制約」がある人だけです。
ですから「3人」の時間が取れた時が、決行の時なのです。
夏の岩手山の登山なら「イザ」しらず、「11月から、12月初め」の岩手山は「立派な冬山」です。本来であれば、「学校に届け」を出したうえで、「校長先生」の「許可」を得て「登山」するのが正当なのです。
しかし、そのときは「メンバー」の一人が、
「明後日、時間が取れた『岩手山』に行こう」。
と、全く「突然」の思いつきで「決行」することになりました。
「登山」の「コース」は、何時もの通り「柳沢コース」です。
夏山であれば「峰」を登るのですが、「冬の岩手山」は、俗に「ハート沢」と言われている「谷底」を登ります。「3合目」の「山小屋」を「左」に見て登ります。
途中には、少し前に「グリセード(ピッケルを持たなかったので、厳密にはグリセードではなかったようです)」を失敗して「遭難」した「盛商の生徒」の「墓標」があります。
この「墓標」を鄭重に弔います。
「ハート沢」を登りつめますと、「不動平」に取り付くことが出来ます。その夜は「不動平」にある「元測候所」に泊まる予定なのです。
3人は「ハート沢」を登りつめたつもりでした。
そろそろ「元測候所」の建物が現れる勘定なのですがまだ現れません。
夕暮れの闇も次第にせまって来ていました。それと「かなり濃いガス」が3人の周りを包み込んでいます。
「そろそろ不動平だな」。
誰かが呟きます。
疲労の度合いと時間からして、「とっく」に到着しても良い頃です。
とそのとき、ほんの一瞬ですが「ガス」が切れました。
その僅かな切れ目から、「元測候所」の「屋根」が「左手」のしかも、「かなり下のほう」に小さく「チラツ」と見えたのです。
どうやら「不動平」を通り越して「鷲の翼(岩手山の雪解けに、山頂に現れる「鷲の姿」です)」の方を歩いていたのです。
このようにして3人は、「元測候所」にたどり着き夕食の準備をしていました。
そのときです、
「何か音がした」。
仲間の一人が言いました。
3人は耳を澄ましました。
「なんにも音がしません」。
「気のせいかな」。
「念のために玄関を見てくるか」。
一番若い私が玄関に向かいました。
そして玄関を開けました。驚いたことに、そこには、二人の若い男の人が「倒れて」いました。
「大変だ、人が倒れている」。
二人を、火の傍に運び、作ったばかりの「味噌汁」を口にあてがいました。
しばらくの間、二人は動けない状態でした。
なんとか話しが出来るようになったのは、かなりの時間が過ぎてからのことでした。
聞くところによりますと「裏岩手」の「コース」を登って来たとのことでした。
この「コース」は「松ノ木」の下を登ってくる「コース」とのことでした。「松ノ木」には「雪」が着雪しており、その雪の中を歩いて来たとか。
そのうえ、二人の服装が問題でした。
二人の服装は、頭から被るタイプの「ウインドヤッケ」を着用しておらず、前を「チャック」で閉じる仕掛けの「アノラックタイプのジャンパー(正確には、これも「アノラック」と言わないかも知れない)」の感じのものでした。
山登りの「服装」は、「頭から被るタイプ」の「ウインドヤッケ」とか「アノラック」が鉄則なはずです。
「チャック」を外して「ジャンパー」を脱ぎました。「ジャンパー」の下は「びしょぬれ」です。
「松ノ木」の下を歩き、「雪を被った」のです。そして、「チャック」の間から「解けた雪」が滲み込み「体力を奪った」ようでした。
少し元気を取り戻した二人は、
「戸を開ける元気も、戸を叩く元気もなくなっていた」。
とのことでした。
ほんの僅かな違いが「山での遭難」を招くようです。
さてその夜のことです。
突然大地が揺れました。
5人は慌てて起きだしました。
「岩手山が噴火するところか」。
5人は顔を見合せました。本当に、そう思ったからです。
やがて「地震は収まっリ」ました。しかし、その後は「小さい揺れ」が引っ切り無しに襲って来ます。
あらかたですがその日は、40回もの揺れがあったと思います。
さて山から下りて「夕べの地震は大きかったな」と話すのですが「誰も」が、
「ええ、地震。そんなの有ったっけ」。
とのこと。
どうやら「下界」では「何事」もなかったようでした。
その後、3人の「岩手山登山」のことが、「学校」に「バレ」てしまいました。どうして「ばれた」のか3人とも知りません。
「学校」からは、「大目玉」でした。
それにしても「あの地震」は「一体何だったのか」。想像ですが、「岩手山のマグマ」の悪戯だったのかも知れません。「不気味な夜でした」。
なお、この後に、この3人は、「厳冬期」の「岩手山登山」にも挑戦しました。
その時には、「学校」にも「届けを出して」の登山でした。
猛烈な風は、全身に「氷のつぶて」を浴びせかけ、「ブリザード」は身体を「谷底」に吹き飛ばそうとします。3人は、「恐れおののき」途中で下山しております。
この後、「後輩達」が「冬の岩手山」に挑戦したようです。
そして、そんな「後輩」の中には、「世界の山々」を目指す優れた「登山家」も輩出したようです。

0