「宗高郷土史」によりますと寛文三年といいますので、一六六三年、松尾芭蕉二十歳のころのことです。それまでは下江留の八幡さんを氏神様と崇めていた宗高の住民でしたが、地域を守りたいとのたっての願いで池谷忠衛門さんという方が富士大宮の浅間神社に七度詣りしてお願いをした結果、この地に神社を建立することができたそうです。街道入口の元の鳥居は横山銀次さんという方が東京で織物問屋を開いて大成功したのを記念に昭和八年に建てたそうです。
また、南の隅にある大きな松は、明治四十一年に在郷軍人会の人たちが、住吉屋(青島龍治さんのお宅)から二日がかりで荷車に積んで運んだ物だそうです。また、境内の西方は元々竹薮で、明治三十六年ごろ切り払って杉林としました。大正の初期には西側に矢場を作り、弓矢を行ったこともあったようです。
祭典は、旧暦の九月二十日に行われていましたが、明治七年から新暦の十月二十日となり現在は、その近くの日曜日に行われるようになりました。昔は、歌舞伎や映画会、清水二郎一座こと池谷準市(提灯屋)さんの芝居公演、近年ではカラオケ大会などの余興が行われ、人々を慰安したということです。
今は昔の面影もありませんが、各組の神輿や山車による歓声が当時の賑わいを彷彿とさせています。この祭典は、宗高の五つの町内会が輪番で担当し、今に繋がっています。

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