彼岸花について寄せられたコメントをまとめてみました。
投稿者:匿名2006/10/11 20:36
地中には鱗茎(りんけい)があり、関節に水がたまるような病気に効果があるといわれています。
万葉歌 路(みち)の辺(べ)の いちしの花の
いちしろく 人皆知りぬ 我が恋妻を (作者不詳 巻11-2480)
口語訳 道のほとりのイチシの花のように、はっきりと私の妻のことを人は皆知ってしまった。
投稿者:匿名2006/10/11 20:21
あなたは、どちらを取りますか
「道の辺の いちしの花のいちしろく 人皆知りぬ我が恋妻は」万葉集 巻11-2480
“いちしの花”は今の彼岸花といわれる。“いちしろく”は白とは関係なく“はっきりと”の意味で「道端に咲く曼珠沙華ではないけれど、ボクの妻があでやかで人目につく美女だってこと、皆が知っているんだ」という妻をベタほめしている男の歌である。古代すでにこの花は野面を点々と染めて人々の目をひいていたらしい。
投稿者:匿名2006/10/11 20:07
道の辺の壱師の花のいちしろく人皆知りぬわが恋妻は 柿本人麻呂 巻十一 2480
壱師論争
壱師が詠まれている歌は、万葉歌多しといえどもわずかにこの1首。ところが、わずか一首に詠まれているこの壱師の花が何であるか、多くの人の関心を引き、いわゆる「壱師論争」を巻き起こしてきた。壱師の花の特定には古くから諸説があり、ヒガンバナをはじめ、クサイチゴやエゴノキがその有力候補とされている。彼岸の時期になると、川縁や堤防に群生する姿が目立つが、地表近くに球根が密集するため、土砂流出を防ぐ役割も果たしているという。。(^○^)
投稿者:匿名2006/10/11 18:52
季節の花、神秘の花、の万葉のロマンの歌について検索しました。
道の辺の いちしの花の いちしろく 人皆知りぬ 我(あ)が恋妻は 作者不詳
道ばたにある、彼岸花のような、ひじょうに目立つ花 あ、あそこに花があるよと人が指さすように……… そのようにみんなに知られてしまった。我が恋妻は。この歌を初めて読んだ時、ああ、たとえがうまいなあと思った。自分が隠していた恋人とか妻のことがみんなに露見してしまった、知れ渡ってしまえば、何々子ちゃんは、実は誰だれさんの隠し妻ですよ……というふうに、はやしたてられてしまう。辺は、あたりの意味。すなわち、川の辺の近くならば川の辺、川辺、山のあたりは山の辺、山辺。
有名な山辺の道も、山のあたりを通る道、というもともとは普通名詞だったのであるとすれば「道の辺」は、道の近く、道のあたり、道ばたのということになる。「いちし壱師の花」には、さまざまの説があるが、有名な説では彼岸花とされる。
投稿者:匿名2006/10/11 17:37
事務局様の観察の通り彼岸花は、予想に反し、ほとんどが立派に葉が出て成長していました、その力強い生命力、仏教の経典、万葉集の花、日高市等で有名になっている等でーーアヤカリタクーー
いちしの花、白金万葉散歩路を次回のテーマの
一つにして見たらどうでしょうか
投稿者:匿名2006/10/10 23:02
仏教の経典によると
彼岸花の花が咲くことは、吉兆の兆しとかーー絶えることの無い田中川の流れと、彼岸花の花の組み合わせ、これもまた何かを、少しは感じさせないでしょうか。
投稿者:匿名2006/10/10 20:22
ある日、忽然と花が姿を現す…そんな気がとてもするのが、 曼珠沙華(まんじゅしゃげ)、彼岸花です、そして何故か花と葉は、別々に姿を現し、情熱的で多少の毒を持つ、不思議で奥の深い花です。秋に咲く曼珠沙華の群生が日本一の日高市「巾着田(きんちゃくだ)」秋の曼珠沙華群生地は辺り一面を真紅に染め、まるで赤い絨毯を敷き詰めたようです。毎年多くの人がその美しさに惹かれて訪れます。
投稿者:匿名2006/10/10 18:04
彼岸花 別名 曼珠沙華
”天上の花”という意味。
おめでたい事が起こる兆しに、赤い花が天から
ふってくるという仏教の経典による。
投稿者:匿名2006/10/10 17:55
彼岸花の歌 万葉集より ...道の辺(へ)の いちしの花の 灼(いちしろ)く 人皆知りぬ わが恋ふる妻」
(いちしの花=彼岸花、といわれる


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