2011/8/8

危険意識  八ヶ岳情報

直登の続く大同心稜を経て、「小同心クラック」へ向かう。

コールが何度か聞こえたので、先行が居ることは解っていたし、小同心の頭にも人影が見えていた、
が、何パーティーもがこの「夏の小同心」に居たことは、かつて無かった。

取り付きに行けば、とっくにスタートしたはずの先行は、まだ見える場所に居るし、更に4人が待っている・・・

準備している間に彼らのトップは登りだしたものの、一向にロープは伸びない。
しかも4人で登るらしい。何故か真ん中はユマール。コールは無線機。ヒマラヤ方式?

申し訳ないが、彼らの後ろに列ぶために、朝も暗いうちから発ってきたわけではない。
雷雨を案じたからこそ、なのだ。

「邪魔はしませんから」と了承を得て、ピッチを切りつつ抜いていく。
更に上のテラスでトラブッていたもう一組も、ラインを変えて抜く。

横岳へ着き、硫黄岳へ向かう頃から、遠く雷鳴が響きだした。
それは刻々と近づきつつある。

硫黄岳の下りでは、周囲が青白い靄に包まれ、既に雷雲に覆われていることを示している。
オーレン、鉱泉、尾根の両側で雷鳴が、地鳴りのように響き出す。

にもかかわらず、「どうぞ雷よ、私に落ちて下さい」と、言わんばかりの吹きさらしの稜線を、まだ山頂へと向かう登山者の、何組も居ることに驚いた。

気にはなるが、彼らに逐一の注意をしている場合でもない。
優先すべきは、まずはお客様の退避だ。

ただし、小さな子供を二人連れていた一家は、このうちではない。
大人の危険に、まだ判断のできない子供を、巻き込むべきではない。
そして何より、小さな子供は逃げ遅れてしまう。

「もう此処で辞めて、すぐ逃げないと危ないですよ」

お父さんは「様子をみよう」と言うが、既に様子を見ている場合ではない。


声を掛けて戻るように促し、樹林帯に逃げ込んだ、その直後、
激しい雷鳴と共に、滝壷に居るかのような雨粒が叩きつけてきた。

私達は、傘もレインウェアも両方用意していたが、雨具だけでは着ている間にもずぶ濡れになるような、凄まじい雨だ。

たちまち登山道は沢と化し、雨は時として粒状の雹に変わった。

樹林帯の中なので問題はないが、周囲では雷鳴が、空気そのものを振るわせるかの如く鳴り轟いている。

「あの子達は大丈夫だろうか?」
雨の流れと飛沫の中を、何度も振り返りながら下山する。

鉱泉に降りて間もなく、その一家も戻ってきた。
「ずっと迷っていたんです。お陰で決心が付きました。ありがとうございます」
「あのねぇ、かみなりね、すっごく、こわかったんだよ!」

若い夫婦と小さな子供達が、元気そうな姿で戻ってきたことに、胸をなで下ろす。

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最近は、ファミリー登山が増えてきた。
それ自体は、全く悪いことではない。

けれど、弱い子供を連れている以上は、危険な岩場があったり、標高のある高所を選択しないこと
(子供は高所に弱く、幼児期の富士登山などはもっての他)

そして大人同士の山行よりも、ずっと早めの判断が求められる。

何よりも、充分に守ってあげられないのであれば、いくら大人が連れて来たくとも、例え子供が行きたがったとしても、連れてくるべきではないだろう。


れっきとした大人でも判断できないことを、子供が判断できるはずも、無いのだから。
















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