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2010/6/14

京都の思い出の人達(5)  思い出の人達

前述した商工ローンの会社を辞めて、仕方なく名古屋へ戻るまでの約1年の間、私は水商売の店へ勤めていた。
場所は木屋町、祇園の北にある地元では有名な繁華街である。
そこのある雑居ビルの5階にあるスナックでバーテンダーとして働いていた。
そこの店でチーフをやっていたK.Tさんもユニークな人だった。
この世界に入る前は京都S大学の学生だったという。
ある日、K.Tさんは「大学では金融論を専行してたんや。」と、得意げに語りだした。
「おかげで普通4年かけて卒業するのに、ワシは2年ですんだんや。」
「すごいですねえ、チーフ。
どうやって、2年で卒業できたんですか?」
私が聞くと、K.Tさんは真面目くさった顔で、
「ワシは学費も親に頼らず自分で払うために、いい金儲けはないか考えとってな、そこで、金融の勉強と金儲けの両方ができるいい方法を思いついたんや。」
「ほほう。」
「それで、同級生らにトイチで金を貸すことを始めたわけや。」
私は当然、無免許でそんなことやってええんかいなと内心、思っていたが、何食わぬ顔で相手の真意を探るために、話にツッコミを入れた。
「儲かりましたか。」
「うん、まあそれなりにな。
でも、中には約束の日が来ても返さんやつがおるさかい、そういうやつは、教室にも自宅にも乗り込んでやったわな。」
「じゃあ、学生時代はけっこう、羽振りが良かったでしょうね。」
「ところがやで、ある日ワシは突然、学長室に呼ばれてな、『お前は神聖な教育の場で何やっとんのじゃ。』と散々怒られて挙句の果てに、『お前は二度とわが校に来るな。』とまで言いよってな。」
「・・・。」
「それで、せつだくん、ワシ2年で大学、卒業したんやねん。」
「・・・それって、世間の言葉では退学って言うんちゃいますか。」
「ん?まあ、ものは言いようやないか。」
そして、一瞬、間をおいてポツリと一言。
「大学の中でサラ金やったのが、まずかったかな。」
K.Tさんは当時、私より3歳年上で色白の細身、いかにもスケコマシといった感じの男性だった。
当然、女性にもモテて、そのころアパートに彼女と同棲していたという。
といっても、K.Tさんの方が彼女の所に転がり込んで来たというのが、真相のようだ。
「初めはある学生アパートに1人で住んどったんやけど、家賃が遅れたら大家のやつがうるさくてな。
ワシ、あたまにきたさかいに、毎晩、アパートの屋根に上ってサーチライトで大家の家を照らしてやったら、大家の方が『ええかげんにせえ。』とキレてもうてな。
終いに、『お前みたいなやつは、もう家賃いらんさかいに、出てけ。』って、言いよって、女の所に転がりこんだわけや。」
「それが、今住んでる所ですか。」
「いや、ちゃうで。
そのころ何人か、女がおってな、まず1人目の女の所に1週間くらいおったら、さすがにむこうも『あんた、いつまでおんねん!』ってキレてもうて、ほんで、仕方なく次の女、次の女と転がり込んでって、最後に今のヨメはんに落ち着いた、ちゅうわけや。」
「ほほう・・・。」
当時、私は全然、モテなかったので、このテの話は半信半疑ながらも、羨ましく聞いていたものだ。
ただ、K.Tさんの言うことは全くウソとは思えなかった。
一見、優男風だが、いつ何時、何をしでかすか、わからんような雰囲気を全身から放っていたからだ。
この店に勤めて数年で、チーフになったK.Tさんに、
「チーフの将来は安泰ですね。」
と、おだてながら聞いてみたことがある。
するとK.Tさんは、
「う〜ん、そやけど、ワシ運転免許もあれへんからなあ。
もし、この店やめたら、ヤクザにでもなるしかないやろな。」
・・・
あれから、20数年。
ネットで検索すると、当時勤めていた店は以外にも、現在も店名も場所もそのままで、中京区木屋町で営業しているのがわかったが、K.Tさんはおそらくいないだろうと思う。
もしK.Tさんと再会できるなら、当時の思い出話を肴に2人で大いに盛り上がりたいと思う。
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タグ: 京都



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