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2010/7/5

強欲の館  思い出の人達

私の親の知人にN.Nという社長がいた。
N.Nは名古屋市千種区に豪邸を建てて暮らしていた。
その豪邸にはN.N夫妻の他にA.Sという住み込みの家政婦が住んでいた。
N.Nは家政婦A.Sに手を出していて2人はデキていた。
つまり同じ屋根の下で本妻と愛人が一緒に暮らしていたわけである。
本妻である奥さんは私の見た感じでは、金持ちのわりにはエラぶらない気さくな方だった。
N.Nと家政婦A.Sとの関係は本妻公認というわけではなかったろうが、恐らく女の勘で知らない、ということはなかったと思う。
何せ、ここの家を出入りしていたが赤の他人の私達が知ってたくらいだったから。
N.Nの奥さんはN.Nが自分の会社を今日まで大きくするまでにずっと影で支えていたが、N.Nより先に他界してしまった。
すると面白いことに家政婦A.Sが次第に本妻気取りになるようになっていったのである。
ある日、私が仕事でN.Nの家に出入りすると、たまたま家にはA.S1人だった。
するとA.Sは、
「まあ、アンタ1人で来たの。
私、コワイわあ。
主人に見られたら、どうしましょ。」
等と、ホザくのだ。
断っておくが、N.Nは既に相当なババアである。
いくら冗談好きな私でも、たとえ冗談でもこんなことは言ってほしくはなかったものである。
N.Nの社員らの前でも、A.SはN.Nのことを「主人」と言うようになったので、このババアは相当、勘違いしているようだった。
そして当のN.Nはどんな男かというと、小太りで頭はてっぺんがテカテカにハゲてて、俗に言う「ちんぼ頭」のジジイであった。
そのせいかどうかは知らないが、相当な好きものだったようだ。
また、N.Nの豪邸にはO.Gさんという専属の運転手がよく出入りしていた。
O.Gさんは小柄で気の弱そうな感じの初老の方で、運転手のみならず、N.Nの豪邸の細かい雑事までよくこなしていた。
「同じ給料払うなら、チイとでも(少しでも)余分にやれることはやってもらわな、あかんでな。」
と言っては、N.NはよくO.Gさんをこき使っていたが、時々、N.Nが私達のいる前でO.Gさんにあたりちらしているのには、閉口した。
そんな時は手前上、私は後でO.Gさんと顔を合わせた時に、
「ご苦労様です。」
と声をかける以外に術がなかった。
時々N.Nの会社の社員が同様な場に居合わせることがあったが、奴等はO.Gさんに対して冷ややかで時にはせせら笑うこともあった。
そしてこういう奴にかぎって、N.Nの前ではまるで太鼓持ちのように媚を売っているのである。
・・・
だが、どんなに運や力のある人間でも、やがて最期が訪れる。
N.Nは晩年は癌に冒され、病院の豪華な個室の中で寂しく息をひきとった。
彼も息子とはあまり、うまくいってなっかたようである。
そしてN.Nが死んだ後、家政婦であり愛人でもあったA.Sが自分の居場所がなくなって出て行った。
N.Nの豪邸は立派な家だったが、恐らく息子夫婦にはイヤな思い出しかなかったのであろう、やがて取り壊され、新しく息子夫婦の家に建て替えられた。
・・・
それから暫くして、私は近所のスーパーで偶然、O.Gさんを見かけた。
O.Gさんは私に会っても気がつかないようで、ヨボヨボと歩いていた。
N.Nから開放されて平穏な暮らしをしてるかと思いきや、O.Gさんは長年の緊張の糸がほぐれた分、まるで抜け殻のような感じだった。
・・・
運や力のある人間が権力を握ると、周りにいる人間までもが往々に翻弄されていくものである。
私もムツかしい親の元に育ったので、このことは骨身に沁みてよくわかっている。
一族の長の富や地位も大事だが、家族の一人一人が幸福であることが何より重要なことだと思うが、私の考えは甘いだろうか。
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タグ: 人生観



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