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2011/3/28

実業家としてのピーター・バウマン(2)  タンジェリン・ドリーム

”STRANGERS IN THE NIGHT(1983)”をリリースした以降のバウマンは主にプロデューサー等の裏方的な仕事を続けていたようである。
元々、彼は寡作な方であった。
ドイツにいた頃のソロアルバムは現在でも高い評価を受けているが、自分の才能と人気がいつまで続くか、本人も悩んでいたのかもしれない。
「音楽の道へ進んだのは父親が作曲家だったので、無理矢理、音楽の勉強をさせられたからなんだ。」
「最初にバンド活動を始めたのは14歳の時。
その頃はポップ・ミュージックが大好きだった。」(バウマン)
また、クリス・フランケはインタビューでタンジェリンにいた頃のバウマンのことをこう語っている。
「ピーターは頭の良い人物だったが、果たして自分が心の底からミュージシャンであるのかどうか、いつも考えあぐねていた。
僕ら3人はいつも行動を共にしてきたので、お互いの気持ちはよくわかっていた。
僕とエドガーはもっと地に足をつけて、確実に音楽の道へ進むつもりだったが彼はもっと自由で気楽な人生を夢見ていた。」
タンジェリンにいた頃はメンバーの誰もが、新しい音楽の探求に没頭し、熱烈なファンの期待にも後押しされていた。
その反面、レコードの印税等で得た金のほとんどは新しい楽器や機材の購入等に消えていった。
音楽家の仕事は才能と人気が頼りで、将来の保障は何も無い。
バウマンが自分の将来について真剣に悩んでもおかしくないことである。
さて、アメリカで次なる道を模索していたバウマンは1984年頃からついに新しい仕事に着手した。
ニュー・エイジ専門のレコード会社、プライヴェート・ミュージックの設立である。
彼はこの会社のレコーディング・プロデューサー兼社長としておさまった。

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この会社を作ることによって、バウマンはようやくアメリカで自分のやりたい音楽で食べていける境遇になったと言えるが、このレーベルを成功させる為に次の戦略を打って出た。
まず1つは徹底した音質重視の曲作り。
作品は全てデジタル録音で、録音媒体も設立当初はCDとクロム・カセットのみでアナログ・レコードの販売は後に多くの消費者の要望で実現された。 
次に視覚的にもすばらしい、芸術的なジャケット・デザイン。
特に初期にリリースされたアルバムは、白地のウィンダム・ヒルのアルバム・デザインに対抗して、黒地に美しい絵やデザインをあしらった物が多かった。
そして3つ目は、購買層を当時ヤッピーと呼ばれた高学歴、高収入で私生活や趣味に多額の金をかける人達に照準を絞ったことである。
子供が踊りながら聴くようなポップスとも違い、クラシック程堅苦しくなく、それでいて時代の最先端の音楽であることを大いにアピールし、ヤッピー世代の肥えた耳と購買意欲を満足させたのである。
そのためアメリカ国内では日本と違って、レコード店のみならずヤッピー世代が足しげく通う高級ブティックや雑貨店等にも商品を置いて、購買意欲をさそったのである。
日本でも今日、書店や高級輸入雑貨店等でCDを売っている店をよく見かけるが、これはそのはしりと言えるだろう。
ヤニーやパトリック・オハーンといった大物アーティストもかかえ、レーベルは次第に有名になっていった。

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(マイク・オールドフィールド、フィリップ・グラスとのスリー・ショット)

そしてバウマンは遂にかつての仲間だったタンジェリン・ドリームとも契約をかわすのである。
事の発端はバウマンの方から、フローゼに
「10年ぶりにもう一度いっしょに仕事がしたい。」
と言ってきたことによるそうである。(続く)

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