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2012/2/17

京都と大阪の光と影  思い出の人達

巷では、富裕層と貧困層との格差が問題となる今日このごろですが、勿論、こうした問題はいつの時代もそうでした。
今から30年程前、京都に住んでいた頃、最初に勤めていた会社は中小企業を相手に短期貸し付けや手形割引をする会社にいました。
何でそんな所に就職したかというと、京都で暮らせるというただそれだけの理由だったのでございます。
その頃も精神的にかなり行き詰まっていて、今いる所から離れたいという一心だったのもあります。
詳しい理由は、まあ個人的な事ですのでこれ以上はご勘弁を。
しかし就職した以上、他の海千山千の社員と共に営業もやりました。
京都市内の様々な零細企業に訪問して融資を勧めたりもしました。
当時、手形を扱っている業種を集中して廻っていたので、建築や土木、それに京都ならではというか染物業といった業種の会社も廻りました。
いずれにしても、そこは多くの人がイメージする「観光都市京都」とは違った世界でした。
ある日、融資が決まった工場経営者の所へお金を渡しに行きました。
(こうした行為を会社では「実行」と呼んでました。)
実行の現場では私が融資先の社長にお金を渡しますと、社長は封筒からお金をかき出して一枚一枚、穴が開くほど見据えて勘定をしていました。
隣では機械の前で社長の息子と思しき工員が不安そうに見入っていました。
社長は髪も作業服もクシャクシャで顔には疲労が色濃くでていました。
私は内心、
「この様子ではたとえ今融資しても、この先持ちこたえんやろうなあ。」
と思いました。
案の定、この会社はまもなく倒産しました。
その時融資したお金は当然焦げ付いたわけですが、それから先は取り立て専門の業務を行なう管理部の社員達の仕事でございます。
僅かに残った会社の資産は全て回収され、社長の家族はバラバラになったそうでございます。
このような社会の弱肉強食の現場をイヤというほど見ていると、毎日ストレスがたまります。
それである日の夜、大阪の梅田へ遊びに行きました。
商店街から引っ込んだところに1軒のソープランドがあり、
「ここで安く遊んでいこう。」
と店に入りました。
個室に通されると、今で言う熟女の御姉様が待っていました。
当時23歳の私よりはるかに年上だが、綺麗な方でございました。
ひととおりのプレイを楽しんだ後、雑談をしましたが御姉様は突然、身の上話を始めました。
「ウチも昔は結婚してたんやけど、旦那が事業に失敗してぎょうさん借金作ってもうて、家族はバラバラ、ウチも見てのとおりやわ。」
そう言うと御姉様は煙草を吹かしましたが、その時の横顔がなんとも寂しげだったのを今でも憶えているのでございます。
勿論、この御姉様が偶然、私が実行した後に倒産した社長の奥さんだったというわけではありません。
当時私のいた会社では、このての話はそれこそ掃いて捨てる程あったのです。
そうかと思うと、一方では金が有り余って困るというような御仁もけっこういらっしゃいました。
その次の休日、私は市内の寺で仏像を拝みながら、
「同じ人間でありながらなんでこんなに違うんや。
倒産した人達だって、みんな同じように努力しとったやないか。
努力したら報われるというが、世の中いつでも不公平やないか。
どうしたら努力した人の夢がかなうような世界ができるんやろか。」
と、自問自答していました。
そこですかさず、、
「結局、女と仏像の両方の観音様を拝んどったんやないか。」
と言われればそれまでですが、日頃、修羅場のような世界に身を置いているとそう思わずにはいられなかったのでございます。
どん底の状況下では、
「ワシは絶対にこの苦境から這い上がって、人生の勝ち組になってやる。」
と周りの者を踏み台にしてでも、のし上がろうという者もおりますが、その者とて長い人生の中でずっと勝ち組でいられる保障はないのです。
結局、自分の運と能力がどの程度あるかを見極めながら、自分だけの為ではなく家族や社会の為に生きることが一番良いような気がする今日この頃でございます。
思えば、京都と大阪の街は私に人生の様々な事を教えてくれました。
繁栄と没落。
聖と俗。
底辺と頂点。
まさにこれらの街は、現代に源氏物語と羅生門の世界が渾然一体となったような所でございました。
しかし私の、この2つの街に対して愛してやまない気持ちはいささかも変わらないのでございます。
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タグ: 京都 人生



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