小沢もしここであっさり辞めたら、支持率持ち直すかもしれんよな。
というのは、
民主党を選択した自分は間違っていなかったのだと信じたい人たちは大勢いるだろうからさ。
「本来なら支持するに値する党であり政権」だと、思っていたいよな。
インチキ商法の被害者みたいなもので、自分が買ったものが、払った金額ほどの値打ちのないバッタモンであるとは認めたくなくて、何とかいいところを見つけてほめようとするわけだ。
そうしないと、「間違ったことをした愚かな自分」と向き合わなければならなくなるから。
時が経てば経つほど、間違いだったことを認めるのは難しくなっていく。
その間違いとともにあった時間がそれだけ長くなり、そのあいだには周囲の人々を巻き込んだりして、「加害者」の側面をも、自分は、持つようになってゆくからだ。
「人間には真の転向は有り得ない」と兵頭二十八は残酷にも言い切る。
転向とは、若い頃から、人生のゴールが見えた今日只今までの自分の歩みが、間違いだったと、無駄であったと、認めなければならなくなることだからである。
転向の先に神があればよいのであるが(これを「回心」という)、
そうでなくてただ否定と悔恨の先にからっぽな世界だけが寂々と広がっているのであったならば、そして家族や世の人の嘲笑や軽侮があったならば、とても耐えられないであろう。
私の脳裏にはいま、
《世にも険悪な顔をして歯を食いしばる、七十代の老人たちの顔》
がみえる。
かれらは眠っていた反体制思想(・・・思想と言うより、気分・・・)に火をつけられて踊った。民主党に人生最後の希望をみた。そしてそれがどうやら、
《人生最大最後のあやまち》
だったということになりそうで、そしてそれをなんとしても認めたくなくて、唇をこわばらせる。
シャアは間違っていた。半分しか正しくなかった。
ひとが真に認めたくないのは若さゆえの過ちごときではない。若気の至りならば後で笑うこともあるいはできよう。
だがおのれの生涯を賭けてきた思想が、それに突き動かされた行動が、むなしい幻であったとしたなら・・・
真に認めたくないのはそういうことの方であろう。
彼らは決して、人生最後の過ちを、
一億人を不幸の淵に叩き落とした愚かな選択を、そうであるとは認めることなく、墓に入ってゆくだろう。それまでのあいだ、さんざん不平不満ばかり言って、すべてを人のせいにして、晩節を汚してゆくであろう。
「運命は厭う者を引きずる」([Fata] nolentum trahunt.)−セネカ。

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