「アイルランド史に学ぶ(3)人名の中のアイルランド(続)」
歴史
Alexis
Malone、Amee
Donavan、Amy
McCarthy、Angelica
Costello、Austin
O'Riley
Brittany
O'Connell、Brittany
O'Neil、Crissy
Moran、Elizabeth
Kelly、Jasmine
Byrne
Jeanie Marie
Sullivan、Katarina
McKenna、Kyli
Ryan、Michelle
Monaghan
Stacy
Burke、Taylor
Kennedy。
...これ、何なのかというと、pornstarbookというアダルトサイトの、ヌードモデルの人名リスト(ナゼかこのリスト、ファーストネームの方をA-Z順に並べている。日本のタワーレコードかっての)から、あきらかにアイリッシュ風のものを抽出してみたものだ。テキトーにみつくろっただけでこの調子(同姓の重複は省略)。アイリッシュ名前が英語圏でどれぐらい「ありふれた」ものか、を実感していただこうと思って、挙げてみた。
我々が外側からアメリカやイギリスをみていて、普段アイリッシュとは意識しないような、「こんなものまで」実はアイリッシュ名前であったと、いうことはよくある。
これを意識するようになると、英米文学や映画の見え方が、今までと違ってくる。
ジャック・ヒギンズ原作の映画『死にゆく者への祈り』A Prayer for the Dying(1987)の主人公は元IRA活動家の殺し屋Martin Fallon。これをたっての希望で演じたというミッキー・ロークMickey
Rourkeの、本名でもある(O')Rourkeがまさしくアイリッシュ名前であるとわかれば、この悲劇的な役へのミッキー・ロークの思いの深さが見えてくる。
英文学ではないが...エクトル・アンリ・マロHector Henri Malot作『家なき子』Sans Famille(1878)に出てくる「盗賊の親方」はドリスコル
Driscoll。彼がアイリッシュなのにはおそらく理由がある。
1845-48にはアイルランドは有名な「ジャガイモ飢饉」に見舞われる。5年のうちに100万人以上が餓死、60万人が疫病で倒れ、10年経ってみれば150万人が海外(英本国とアメリカが多い)に流出していた。このことと、1846年の穀物法Corn Laws廃止による農業から牧畜への転換もあって小経営農家は没落していった。アイルランド併合Union(1801−最初の国勢調査と同じ年−)当時540万人いたアイルランドは、1871年には500万人に減り、19世紀末には450万人になっていた。19世紀中、人口の増加をみなかったヨーロッパの国はアイルランドだけであるという。英国の議員でもあったバイロンLord Byronは併合を評して、「これは鮫と餌の結婚である」と言った。併合以前から何世紀も続いたイギリスの支配は、間違いなくアイルランドを疲弊させた。
零落し海外に流れていき、食うため生きるために盗賊にまで落ちぶれた男、ドリスコル。彼もまた、悪党なりに必死だったのだ。
シャーロック・ホームズの宿敵モリアーティ
Moriarty教授。若くして大陸の大学で数学の天才の名をほしいままにしたが、なぜかイギリスに帰ってからは黒い噂がつきまとい、それがためついに大学を追われた「犯罪界のナポレオン」は、(作中そうだとは一度も書かれていないが)アイルランド人だった。彼の広大無辺の悪のネットワークの中には、おそらく貧しいアイルランド系の移民たちが大勢いたであろう。「赤毛連盟」の問題の人物ダンカン・ロス
Duncan Ross、これもスコットランドまたはアイリッシュの匂いがする(グラナダTV版のドラマでははっきり、モリアーティが裏で糸を引いていたとされていた)。モリアーティ教授の巨大な悪の秘密結社は、もしかしたら、大英帝国(ナポレオン戦争以後、世界のどの国もこれを脅かさなくなったため、黄金時代を迎えた)を呪う「死ね死ね団」だったのかもしれない。(ぐぐったら、あちこちにリアルでモリアーティという名前の大学教授がいた。「モリアーティ助教授」までいた。多分この人たちは周りの人のジョークにうんざりしているだろう。日本で「金田一」さんがいると言語学者か探偵かと聞かれるのといっしょである)
アイルランド人のアメリカにおけるイメージは「大酒飲み」かつ「お巡りさん」である。Copという言葉の始まりはニューヨークの巡査がつけていた銅のバッジ(copper badge)であるが、この初期の「コップ」たちにもアイリッシュはたくさんいただろう。
フィクションの中の警官たちにもアイリッシュは多い。
サンフランシスコの「ダーティハリー」ことハリー・キャラハン
Callahan。
ニューヨークは『フレンチ・コネクション』The French Connectionの「ポパイ」ことドイル
Doyle。
シカゴの鬼刑事ブラニガン
Branniganてのもいた。(『プロゴルファー猿』黄金仮面編にも同名の喫茶店が出てくるが、これはシャレ。コーヒーは「ブラック」だと「ニガい」から「ブラニガン」なのである)
デトロイトの『ロボコップ』の本名はマーフィー
Murphy、これは今も昔もアイルランドで一番多い苗字。サイボーグにされた「コップ」もアイリッシュが一番乗りだった。
で、なんでお巡りさんはアイリッシュが多いのか。わが同僚の英人の説では、「イングリッシュメンを(逆に)タイホしたいから」なのだそうだ。なにやらあしたのジョーのタイトルマッチで、さんざっぱらジョーを追い回していた警察の、その楽隊が彼のために君が代を吹奏して、丹下のおっちゃん思わず涙ぐむ、っていうのに通ずるものがないか。
1860年、ボストン市の台帳(City Directory)というのを見た。そしたら、McとO'、あるわあるわ、Mの項はMacadamに始まりMcWilliamsまで、約390(McMathてのとMcQuestionてのが両方いるのがおもしろい。『バックトゥザフューチャー』シリーズでおなじみのMcFlyはいなかった)。O'は(Macはスコットランド系もあるがO'はアイリッシュだけということもあるのか)それよりずっと少なく、それでもO'BarronからO'Tooleまで50。こうしたアイリッシュの人たちが集まったサウス・ボストンと、アメリカにおけるアイリッシュ移民のありかたについては、別の機会に触れようと思う。今回はここまで。

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