◆『チンギス・ハーンとモンゴルの至宝展』江戸東京博物館(2/2-4/11)
・・・を見るために、両国の江戸東京博物館に初めて行く。・・・って、
でけえ建物だなあオイ。こんな
無闇にでけえ建物は韓国の「独立記念館」以来だ。
主催者のメッセージより−
「本展を通じて、より多くの方々に
中国文化への興味と関心を深めていただき、
日中の友好と文化交流、相互理解を進めていく上での一助になれば幸甚です」
ああ、なるほど、内モンゴル自治区にある博物館の収蔵物が中心だから「中国」なのか。
しかし、「
チンギス・ハーンと
モンゴルの至宝」なのに、「
中国文化」で「
日中友好」だってwいけ厚かましい奴等だな本当にw
・・・まあ、俺が「そう思って」見るからなんだが、駐日特命全権大使・
崔天凱先生の署名の
毛沢東風字体が果てしなく気持ち悪いw
慎太郎もよ、
お迎えが近づいた人の愚痴みたいなとりとめのないこと
産経の1面に書いてる暇があったら、
こういう図々しい連中に都が荷担することの意味を考え直したらどうなんだよ。
音声ガイドの声は
吉川晃司か。久々に名前を聞いたな。生きててくれてよかったよ。
◇青銅の食器(戦国時代)
「
戦国時代のモンゴル」って、それはモンゴル関係ないからw戦国時代の青銅器が出土した場所が、今の行政区分で言うと内蒙古自治区の中にある、んだろ。
お前らはスキタイの金細工について、「古代のウクライナ」って説明すんのかよ。(「そうだよ!」←そうですか・・・失礼しました)
◇銅製熊足形案(北魏) 直径約47センチ、高さ8センチ
今回一番の収穫がこれだ。「案」はこの場合は浅い盤のこと(白話小説のタイトルとかで「拍案」と言ってるのは話の面白さにテーブルを叩くことで、「案」は本来机のことだと思うのだけど、要するに「脚の付いてる家具」というつながりで、足つきの盤をそう呼ぶことがある、のであろう・・・)。
何に使ったとは解説文には具体的に書かれてないのだが、想像するに、血盟とか、あるいは瀉血、去痰、排膿とかに使ったものなのではないのか?浅すぎて(深さ2センチほど)使い道は限られよう。それとも、単に果物とかを盛ったものなのか。
いずれ、血盟に使った盤も「こんな感じの物」なのであろうと、見当を付けることはできた。血盟は殷周や戦国期のことだろうから、北朝ではどうなのかわからないんだが。
◇黄釉陶馬俑(唐代)
副葬品だろこれ。つまり貴人のお墓から出たんだろ。・・・って、「内モンゴル自治区フフホト市で
収集」・・・
収集?
出土じゃなくて収集?なにか、フフホトの
骨董品店に出てたっていうことか?つまりこれ、
盗掘されたものを売ってたのかw(じゃなきゃ精巧な偽物かw)
◇契丹文字銅印(遼代)
「文字は篆書だが、その内容は研究中である」。って、未解読の文字の字体が篆書か隷書かどうやって区別つくんだろう。と思った。
◇陳国公主の墓(写真)
なんだこりゃあ。統合失調症の人が自分の血で描いた絵かと思ったw
◇モンゴルの王座(清代)
肘掛けがみごとな鹿の角。
かなり巨大な王座なので、背もたれまで深くかけたら普通の体格の人間だと足が下につかずブラブラするだろう。
鹿角の肘掛けは体重かけたら壊れるんじゃないか。これは謁見時に形だけ座るようなものなのかもしれない。こんなのに一日中座って書類読んでハンコ捺してたら気疲れするだろ。王様なんてなるもんじゃねえな。
◇岩羊角長柄杓(清代)
これもみごとな角細工。野生羊の大きな角をくりぬいて柄杓にし、柄もそのまま角を削って作った一体のもの。乳や乳酒を酌むんだそうで、よくこんなもの造ろうと思ったなって感心する。
しかし、いくら春休みとはいえ、
平日でこんなに人が入ってくるとは迷惑千万wゆっくり見さしよらんな。半分ぐらいはお年寄りだけど・・・。
今回残念だったこと。それは、モンゴル文字・チベット文字・満州文字が読めなくて、印面やなにかの内容を味わうことができなかったことだ。
だいたい、今現在自分の関心の中心にモンゴルがないので、見方が浅かったと思う。そもそも
獣臭が大嫌いだし寒いのも嫌いだし、俺はモンゴルには住めないな。でも見ておいてよかったよ。何年かすればまたマイブームが回ってくるのがわかりきってるからな。
しかし、内蒙古には膨大な考古学コレクションがあるんだな。とすれば、満州(東北部)にもかなりのものがありそうだ。
寒いのは嫌だが、一遍は実際に現地の博物館へ行ってみなければなるまい・・・。
寒いのは嫌だけど。
ところで、
両国っていうのは
本所署管内なのか・・・。するとなにか、
本所っていうのはわりと江戸の端っこの方ってことなのか?下総に近いぐらいの?俺田舎者だから江戸のどこがどうなのかよくわからないんだよ。

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