去る5月末、ネパールの議会は国王の権限を大幅に制限する「決議」をした。それによると、
・
国王は国民と同じ法律によって裁かれる
・その法律は議会が作り、国王の承認を必要としない
・王室の財産は政府が管理する
・軍隊(ロイヤルアーミー)の統帥権を国王から取り上げる
・ヒンドゥー教を国家から切り離し、ネパールを政教分離国家とする
−とのことである。
私はネパールの「革命」とやらに反対である。以下、要点だけ述べる。
(1)まず第一に、王族たることの役割と責任を忘れ、王族が法律を超越した存在であることをいいことに無道の振る舞い(深夜の当て逃げ・致死などの悪質な事案含む)に及ぶ一部の王族(なんと、王子である)は、王室に対する国民の信頼と敬愛を著しく損ない、その結果国民の統合と団結、社会の秩序と安定を大きく蝕むものであることを強調しておきたい。
不徳の王族は王国の敵である。
(2)しかしながら
通常の法的手続きに王族もまた服さなければならないとすると、王室の神聖性と不可侵性を損なうのではないか?
(3)そこで私の奨める方法はこうだ。
《不祥事を起こした王族は自死を国王から賜るか、国外に亡命するかを選ばせられる》。たとえそれが刑事犯罪であっても、王族たる者、通常の官憲の手にかかったりすべきでない。罪を認めたならば潔く自死を選ぶべきである。
(4)この方法によれば、
(a)
国の名誉と人心の安定を損なうことなく不良王族を排除することができ、
(b)
しかも王室の不可侵性をさかしらの世俗法に委ねて破壊させることがない。
(5)以上の提案の限度を超えて、議会・行政府・裁判所及び国軍が王室の権限を侵害することに私は(所詮外国人だから口出しするのはおかしいのだが、後述する理由で「他人事」でないので)反対する。すなわち、現下において実際に行われている(上述)「革命」に反対する。
(6)それは
王室を世俗の法体系の下に置こうとすることによって国民統合の象徴たる王と王室を傷つけ、ひいてはネパール社会を不安定にするものである。
(7)
共和主義分子(とりわけ共産主義者)の狙いはまさにそこにあるのだ。
(8)以上のことは
わが国と皇室についてもあてはまる。神聖にして不可侵であるとの旧憲法の規定は(単に政治上の責任を免れるという意味だけでなく)そのように理解さるべきであると私は考える。すなわち、
天皇及び皇族は通常の国法を超越した存在であるべきであり、なおかつ、皇族みずからが不名誉の行為に及んだ場合、自死または自主亡命などによって自浄作用を働かせることができるようにすべきである。これすなわち、
名誉のためのシステムである。
(9)
わが憲法及び皇室典範の改正には、この観点があるべきであると考える(現憲法と皇室典範には、天皇及び皇族と国法との関係がいかなるものなのか−たとえば刑事訴追を受けることがあるのか、通常の手続きを免れるのか−についての規定がない)。今言っていることは
非常なる時代錯誤に見えるかもしれないが、そうしないでおくと
「皇室のスキャンダルが国体を揺るがす大事に発展する可能性」を小さくする装置がないままになるのである。
以上、オーストラリア・クイーンズランド州ブリスベン市、「ネパール・パゴダ」前の河岸にて考えた。

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