◆読売新聞・2007年12月2日付 編集手帳より。
バックパッカーという言葉がある。リュックサック一つを背負い、
気ままで安上がりの海外旅行をする人のことだが、
−バックパッカーという「
言葉がある」?
これ読んで「へえ、そうなのか。初めて聞いたな」っていう人がおるのか?
おるとしても、多分70代以上だろう。一体、編集手帳子、自分のコラムの読者層をどのへんに定めとるのじゃ?
バックパッカーというのは全然、新しい言葉でもなんでもない。昨日今日流行りだしたのではなくて、30年前にはすでに日本で使われていた。新語でも流行語でも俗語でも符丁でも、今となっては専門用語でも、ない。
自分の方が世間からズレまくっているのがわからずに、得々と読者に講釈たれてしまいには
◆移動は容易になっても「国境は明らかに存在」する。
とか、お説教までしている。大笑いである。
◆若者の間で「自分探しの旅」がはやっている。「自分探し」とは何なのか、
よく理解できないが、タイには一人歩きの日本の若者が大勢いたという。
−ずっ。そ、それはいつの話だ?20年くらい前のことじゃないのか?
「自分探し」が
今も「はやっている」のだとしたら、そのことの方が特筆モノではないのか。編集手帳子の頭の中の時計は何年前で止まってるのか?
◆旅の途中で、気に入った街に長期間、落ち着いてしまう若者も少なくない。
−「
てしまう」?「旅の途中で、気に入った街に長期間、落ち着い」たらいけないのか?「てしまう」とは何事じゃい。大きなお世話だ。
きみら、「
ラフカディオ・ハーンウゼェ」とか「
C.W.ニコルカエレ」とか書いたことあるか?逆だろ、《「これだけ日本に長くいる僕は、もう『外人』じゃなくて『内人』だよね」とニコルさんは黒姫の陽光の中で穏やかに笑った◆
ともすれば偏狭なナショナリズムと排外主義に酔いがちなネットの若者たち。ニコルさんのその言葉を
しかとかみしめてほしい》とか何とか[ただし、この例文は桃李庵主人が風呂で屁をこいた拍子に鋳造したもの]、日頃自動書記よろしく、筆先の跳ねるにまかせて書き散らかしてけつかりくさらんことあろまいが。どやい。
読売に限らねえ。朝日も毎日も産経も、こういうとこは同じだ。
他人の言葉ばかり引用して、古くさく、トンチンカンで、説教臭い。
言ってることはほとんどすべて
耳学問、というより、
俗説迷信流言飛語のたぐいだ。年柄年中たとえばこんな↓調子:
《ピラミッドを造る過酷な労働に従事させられていた奴隷たちを引き連れたモーゼは・・・》
←(1)ピラミッドを建設したのは「奴隷」ではなくてナイルの氾濫期に畑仕事ができないかわりに出稼ぎに来た農民たち、すなわち「季節労働者」である。
(2)ピラミッドのほとんどはモーゼの時代よりずっと前に建設され終わっていた。モーゼは関係ない。ハリウッド映画をソースにして歴史を語るなよ。
《旧約聖書のギルガメッシュ物語にある洪水である》
←ギルガメッシュはシュメルの叙事詩の人物で、旧約関係ねえ。
《[過冷却水の話をしようとして]水は零度で凍るものだと学校で教わり、疑問を持つこともなかったが》
←学校でそんな風に「教わった」ハズはない。0度というのは「融点」。氷が「融け始める」温度であって、「凍る温度」ではない。こいつは小学校以後の理科を覚えてないのか?
《ずぶぬれの愛猫を電子レンジで乾かそうとして死なせてしまった老女が「注意書にはそれが危険だと書いてなかった」と家電メーカーを訴えた訴訟社会だけのことはある》
←それは都市伝説であって事実じゃないと考証されているし、そのことは今ではたくさんの本に載っていると何度言ったらわかるんだ。
《
「武」という字は「戈」(ほこ)を「止」めると書く。ヒョウタンツギ新事務総長にはぜひ戈を止める手腕の発揮をお願いしたい》
←最近の甲骨文字の研究によると、「武」の字の原形は単に「戈を持っている人物」であるようだ。つまり「戈を止める」云々はもっともらしいが俗説であった。横町の御隠居レベルの耳学問を、いちいち金取って人に読ますな。
こんなのがよってたかって2ちゃんねる敵視したり、安倍晋三叩きに狂奔したり、してるわけだ。
そんで、そんなのが書き散らかしたものを、俺たち金出して読んでんのか。
アホか
俺たちは。
言い間違いではない。あいつらは、ではない。あいつらがアホかどうかよりも、
俺たちがアホかどうかの方がずっと重大だ。ここはミンシュシュギシャカイとやらであり、んでもって、われわれの方がはるかに数が多いんだから。

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