この活動[インド洋上の給油]も・・・おー・・・
関係・・・そうね・・・諸関係諸国に大変、えー・・・感謝されてきた・・・。
【
福田康夫、2007年10月31日】
なぜこの程度のことがすっと言えないのか?
これって
一息に言えるようなことだろう?
このくらいのことを「えー」「おー」まじりでのろのろ言わなきゃ失言してしまうようなレベルだとしたら、
ふだんこの問題について深く考えたことがないんじゃないのか!?
これじゃ、「考えたこともなかったのに急にマイクを向けられた街の人」の反応と変わらないだろう。
私は今福田康夫個人を責めたりバカにしたりしたいのではない。だから例は福田からとらなくてもいい。
明確明快な、アー、憲法解釈が、ウー、示されていないと。
【
小沢一郎、2007年11月13日】
[日本とボツワナの]両国にとって、えーー、かなり、メリットが、
あーーー、ありますね。
【
甘利明・経済産業大臣、2007年11月15日[日本時間]】
このぐらいのことが、なぜ一息でシャキッと言えんのじゃ?
このたぐいのことが、政治家に限らず、(私の周りの)いい大人に非常に頻繁にみられるのが気になる。
《政治家だから失言を避けようとしてそうなる》だけではないと思う。そして多分《私の周りの大人》けのことでもないだろう。
「あー」「えー」「そのー」「あのー」をふんだんにちりばめ(ラップの文句にpussy、ass、dick、fuck、muthafucker、bitch、n***aが入ってるのとドッコイの頻度で)、
あげくごく平凡なことを言ったかと思うとそれにすら「・・・かなーと思います」をつけて最後を〆る。
思うんだが、これっていうのは、《
その件について深く考えたことのない人》が、《
急に聞かれて困ったが「わかりません」「今度までに考えておきます」ではなくて
とりあえず何らかのコメントをその場でする必要に迫られた》ような時のしゃべり方ではないのか?
つまり、アマチュア同然ってことではないのか?
・政治家(プロ)としていつも心にとめてなければならないはずのこととか、
・今まさにその話のまっただ中にあって、しかも自分がその中心人物であるとか、
・その職業や立場にあって常に直面しているはずのこととか、
・その人に聞かなくて他の誰に聞いたらいいんだ、というほどその人にふさわしい話題とか、
−−について質問されているのに、
なぜつっかえる?
なぜ口ごもる?
なぜ借り物のコトバを丸写しする?(「世論調査という名の人気投票の持つ危うさを、まざまざと見せつけられた
気がします」)
なぜアッタリマエのどうでもいいようなことしか言えない?
なぜ何でもないことを答えるのに一々「それはいろいろ難しいんですけれども」など、言い訳めいた前置きをする?
なぜ「ような気がします」「かなーと思います」ぐらいの確信しか、自分自身の出した結論に対して持つことができない?
なぜ素人に自分の属するヨリ大きな分野の一般的なことを聞かれているのに「専門じゃないからわからない」などと平気で言えてしまうのか?
−−いつも心にとめてなければならないはずのことを、とめていないからだ。
つねに考え抜いていなければならないはずのことを、考え抜いていないからだ。
業界の外部の人から、専門人としての自分がどう見られているか、意識していないからだ。
いつ人に聞かれてもいいように心の準備をしていないからだ(自分が考え抜いていて、知っているということが当然期待され、それゆえ人がそれについて意見を求めてくることがあって当然・・・ということを想定していないわけだ。しかし、一体なぜ?)
考えてなさすぎる。
覚悟がなさすぎる。
ニュートンは、なぜそんなすばらしい仕事ができたのかと問われて、「いつもそのことを考えてばかりいたので(By always thinking about it.)」と答えたそうだ(E.T.ベル『数学をつくった人びと』Men in Mathematics、ハヤカワ文庫で読める。ただしニュートンのでなくて、ガウスの項の、最初あたり)。
ニュートンにして、他人よりも長い時間、考え抜いたのだ。
凡人なれば一層のこと、
考えぬいて、想定して、覚悟して、準備して、いなくてどうするのだ。
おまはんら・・・ハキハキゆえまへんか?

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