「小説の中の食いもの描写(6)高木彬光と松本清張」
書評
「小説の中の食いもの描写」シリーズの第6回:
高木彬光と松本清張。
高木彬光の何か(忘れた)。『破戒裁判』か、『人蟻』か、帝銀事件をモデルにしたなんとかいうやつの、どれか。
弁護士・百谷泉一郎が寿司屋で
「
おやつがわりに握らせたトロ」
を小皿の醤油につけると
「
脂がぱっと広がった」。
ネタの方を正しく醤油につけたことがわかる。
シャリの方をつけると崩れてしまいみっともない。
泉昌之のマンガ「通浪人花山末吉」シリーズで
「紫にシャリが散った」という[眠狂四郎風の]タイトルの回があるが、醤油に鮨飯が散ってるとすると食べ方あまりよくない。
握り鮨を手でなく箸で食べようとすると往々にしてそうなる。箸で握り鮨を持って、タネの方を醤油につけるのは難しい。そもそも、不自然である。
あれはもともと手で食べてよいものなのだ。
手で食べるからこそ、自然に、タネの方を醤油につけられるのである。
それにしてもさすが弁護士はいいもの食ってやがる。けっ。
それにひきかえ刑事となるとしょぼくれてくる−
松本清張「張込み」
の刑事二人は、出張で京都に行くが、名物平野家本店の「
いもぼう」(海老芋と棒鱈を炊き合わせたもの)を食べようということになって、出張費は
「どうせアシ[が出る]に決まっとる」
と、
私費で食べようと相談しているのである(涙)。
ところで、百谷泉一郎(ひゃくたに・せんいちろう)の口癖は、
「いいんだ。すべては運命、運命なんだよ」である。いかにも易学に造詣の深い高木彬光らしい。
貧乏デカになってしまったのも運命なら、一見何の関わりもなさそうな些細なことから事件解決の糸口が見つかるのも運命ではある。清張自身はどの程度運命なるものを信じていたのかわからないが−。

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