我が国の歴史教科書や、それに準じた「学習まんが 日本の歴史」のたぐいの顕著な特徴は、(偏向云々以前に)
唐突で脈絡がないことである。
たとえば日清戦争の項で突然「朝鮮の独立」というフレーズが出てくる。
何のことだか分からない。
それまでの間「朝鮮(李朝)」なるものが実は中華帝国(私の用語だと「華夏冊封体制」)の属国であったということをどこにも書いてないので、「ハァ??朝鮮は朝鮮っていうクニだったんじゃないのか?一体どこから『独立』する必要があるというんだ??」と、なってしまう。
すべてがこの調子なので、大まじめに読もうとすると「???」の嵐で、思考の流れが断ち切られて、ギクシャクすることおびただしい。
もうひとつの特徴は、
日本の公権力が行ったことをすべて悪意に解釈することである。
太閤検地→すなおに「領国によってまちまちであった土地の測量標準を統一した。主導したのは石田三成ら奉行である」と書かずに、「多様な基準のありかたを認めず、中央集権化を強引に推し進めた」「自由耕作地[普通「隠し田」って言わんか・・・]がすべて摘発されるなど、農民にとって窮屈な時代の始まりだった」と、こうくる。
刀狩り→「武器を用いた私闘が禁じられ、原則的に官憲と武士階級のみが武器の携帯を許されることになった。これは長い内乱の時代を終焉に向かわせることの明確な宣言であった。大きな内乱がなくなった幕藩体制は、『静謐の世』と呼ばれることになるであろう」とはすなおに書かずに、「百姓から権力の横暴への正当な抵抗の手段を奪うものであった」とくる。
明治維新→「武力を背景に新政府を樹立した」と言ったそばから「不平士族の反乱」の項では「新政府の軍事的基盤は弱体だった」という。
どっちやねん!
これ、著者の脳内では実は一貫しているのである。(イ)新政府は武力を背景に強引に樹立された=民意によるものではない。(ロ)その軍事的基盤は弱体だった=だから不平士族に反乱起こされてやんの。ざまあみろ。
つまり(イ)
イクナイ!と(ロ)
ザマミレの二つの要素が盛り込まれているという点で、一貫した「
日本イクナイ史観」なのだ。
これらの教科書や学習まんがにはかなりハッキリした歴史観がある。それは、「
日本の歴史は自由を求める民衆のたたかい[注:「たたかい」がひらがななのに注意]
の過程であり、日本国憲法とりわけその第九条はその結実である」というものである。
したがって、過去へさかのぼればさかのぼるほど日本は不自由で暗黒でなければならないことになるため、中国や朝鮮が失敗した近代化になぜ日本は成功したのかということが事実そのものを素直にみることから説明できず(それゆえ「説明」は二種類に限られる。(a)《中国や朝鮮などアジア諸国を踏みつけにして欧米列強の仲間入りをしようとする帝国主義志向、それが明治日本のいわゆる「近代化」の正体であった》、(b)《その「近代化」なるものがもたらしたものは戦争、貧困、差別、抑圧、搾取、環境破壊、利己主義の蔓延、拝金主義、弱者の踏みつけ、精神の荒廃、絶え間ないストレスであった。近代化なんてまやかしであり、真の豊かさとは無縁であり、価値はない》)、ただひたすら「天皇制」と「帝国主義」によってムリヤリ抑圧したとか侵略したとか征服したとかしか言えず、「なぜ?」が(事実に即して自然に)わからない。
「日本の近代化とは西洋化、つまり列強の猿真似」である、とこきおろし、「同じアジアの民衆にではなく、ヨーロッパにのみ目を向けた」と、
ナゼかここだけ妙に「アジア主義」が顔を出してくる。
事実を素直に見るのでなく、先にあるべき結論を決めてしまい、そこから逆算して事実の解釈や取捨選択(都合の悪い事実はなかったことにする)、歪曲を行うという、それは学問の名に値しない代物である。
「左翼的」だからよくない、のではない。
結論を先に決めて、その結論に合うように事実を選んだりねじ曲げたりするということがよくないのだ。このやり方をしている限り、右翼的であろうが左翼的であろうが、「一見保守的」であろうが、「一見穏健」であろうが、「愛国的」であろうが、
どのみちよくない。
・・・以上は2005年の手帳に書きつけたことなのだが、今も私はそう思うので、そのまんまここに書いた。

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