2012/1/30  19:10

父の命日に想う  日記



当時、S市で家族と生活していた71歳の父は、外出して帰宅したバスから降りて自宅に向かう道で帰らぬ人となった。47年前の19時10分のことだった。
その夜、悪友と浅草で飲んでて何気なく時計を見たのが19時10分で、後で父の死亡時間を知ってこの偶然に驚愕した。

その時31歳のボクは、既に東京で生活し結婚していた。何度か帰省したが別れが一番つらかった。元気な父の姿の見納めになるのではないかと思うと、自然に目頭が濡れての別れだったのを忘れもしない。それを見て妻は、ボクの泣くのを初めて見たとよく話していた。

帰省して逢う父を「老いたなぁ」と感じていたが、もう7年も父の歳を上回ってしまった。
多分、傍からみれば「老いぼれ爺」と思われているだろうが、それを自覚できないのは良いのか悪いのか。人は「若い」と言ってくれるが内心はどうなのだろうか? 素直に受け取れない。今日まで病床に臥せることなく過ごせた身体を与えてくれた父に、改めて感謝している。

無趣味なのは父譲りだが、PCと読書で過ごせるのは恵まれている。

お父さん ありがとう。



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タグ: 命日 父親 別れ



2012/1/31  11:24

投稿者:山爺

ペルソナさん>
このことのほかに、人がなくなる時の「虫の知らせ」かと思われるのを3度ほど感じたことがあります。霊感というものでしょう?。
若く見られないということは、生活の苦労が表情に表れないからかもしれませんね。

2012/1/31  7:27

投稿者:ペルソナ

山爺さん、お早うございます。

何となく時計を見た時がお父上がお亡くなりになられた時刻ということは、偶然ではなく昔から言い伝えられているように、虫の知らせとか言う事でしょう。または以心伝心ともいえるでしょうか。私もそのようなことをこれまでに何度も体験しています。20キロ以上も離れている場所の兄の声を仕事中、同時刻に聞いたり、その他不思議な体験をしています。
父母には、感謝をしています。
若く見られるのは、私も同じですね。そのことはそれでいいと思っています。生まれつきそのようなことなのでしょうね。

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