2021/7/17

Vaccine  
昨日コロナワクチン2回目の接種翌日、副反応で丸一日ダウンした。梅雨明け宣言、東京が夏になった日だった。朝からだるーく、微熱、節々の痛み、喉の渇き…。思えば、2年位前にインフルエンザに罹った時以来寝込むこともなかったから、久々にゆっくり休んだと言えば言える。接種からちょうど24時間経った時間に37.8度を頂点に、次第に下がり、翌日今日は朝から平熱でむしろ元気だった。
 何が何でも鰻が食べたいと欲し、地元の麹町「秋本」へ開店時間に行く。既に並んでいた。30分はお待ち頂きます、と言われたので自転車に飛び乗り、赤坂へ下る。本籍地一ツ木通りの「にょろ助」(旧瓢六亭)へ走る。入れました!待つこともなく思いが果たせたので嬉しかった。子供の頃からあるお店はまだ少し残っているが、この店が昭和40年代何だったかが、思い出せない。
 帰りは自転車を引いて歩く。弁慶橋から祖母に負ぶわれて来た清水谷公園。清水谷公園の工事は終わっていた。池には亀の姿がたくさん。鯉も泳いでいたし、アメンボもトンボもいた。水際で足を少し濡らして帰路につく。真夏の日差し。
 色んな夏を思い出す…日陰のないアヴィニョンの夏、鎧戸を閉めてシエスタをしたバルセロナやセヴィリアの夏、47度だった。マルセイユに吹くミストラル…グラーツの路面電車…あれは夏じゃなかったっけ。。色んな所へ行ったけど、いつになったらまたそんな世の中になるのかなぁ、ならないのだろうか。
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2021/3/5

333  
令和3年3月3日、山陽新幹線で岡山へ。神戸より西に新幹線で行くのは何十年ぶりかもしれない。アパレルの営業だった時代に鳥取の米子へ出張したのが西の果てだったように思う。
 公演のツアーは難題を抱えていた。新型コロナ感染症が流行り出してから早一年、色々とある。
思えば10年前、東関東大震災、同じプロデュース公演で初旅だった時には福島市からのツアーで、見えない放射能の脅威に怯えていた。内部被曝、アレルギー反応倍増、常に止血剤携帯は今も続いている。10年後こんな感染症のパンデミックになるとは。30年余芝居やって来て時におそろしくなる。しかし、あの福島へ行く時、演劇人の使命だと感じていた。今この状況で、同じ使命を感じている。それが正しいことだと一心に信じたい。ゾロ目の日、夢見はまた旅立ったあの人の。それはそれでいい。
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2021/2/22

2222  
2月22日の朝、夢見た。2月2日にお別れしたあの方の。
長く伸びた髪を切った。そうしたいと思ったから。
この1ヶ月、なかなか落ち込んでいた。今日夢の中でその人に会って、私は、「生きているあなたに会えたのが嬉しかった」と言っていた。それは、今のことじゃなくて、私たち2人が同じ時空で会っている感じだった。私の人生の中で、間断を置いて何度も出会った。そういうご縁が深かったのだと体感している。それが、抱かれているような柔らかさ、というか、やさしい親しさというか、埋もれてしまうような感覚。そんな気持ちになることに今自分が少し驚いている。私だけが持っている、その感覚、を忘れない、きっと。
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2021/2/8

節分・立春  
 1月最後の日曜日に届いた訃報に衝撃を受け、矢庭に関係筋に連絡を取り始める。ただ居ても立っても居られない気持ちだった。忘れられない写真を取り出すと、日付は丁度30年前の節分の日、舞台の初日だった。Mさんの舞台を初めて見たのは恐らく、1976年の夏休みだろう。45年前…。恐ろしく長い時間。。その時ははまりにはまったけれど、次第に興味は別なことに移った、が、その15年後に演劇界で巡り合うことになる。少女の思い出は深く心に刻まれていて、胸が躍り、心中は穏やかではなかった。こんな風にいつか巡り合うことがあるのだと感動していた。全てのツアーも終わり打ち上げの打ち上げがMさんの自宅で繰り広げられている最中、猛烈な腹痛で私は救急車を呼んでもらい、数件の病院を回った後に調布の病院に入れられた。当時尿管結石という診断を信じていた私は持病の発作だからもう救急車しかない、と判断したのだ。検査の結果は誤診で、実はもっと重大な病気だった。入院中に父が他界。自分の身に起こった出来事を持て余し、私が生きていることも奇跡のようで、命の恩人と思い、私は退院後Mさんに長い手紙を書いた。返事はなかった。何年も後にお仕事で再会した時には、「あんな手紙もらって返事の仕様がないやん」と言われた。ごもっともだった。1991年のお芝居から再び間断を経て、別な形でまたお仕事の現場で再会した。幾度も。
 私の転機になった渡仏以来はお会いしていなかったけれど、訃報には耐えがたいものがあった。信じられない、悲しい、という以上に、自分の人生を顧みてしまう大きな衝撃。節分の2月2日、ある方の好意でお別れに行くことができた。次の日からは気持ちが漫ろだったが頑張って仕事の現場へ向かった。週末の金曜日に熱を出した。動けなかった。その日は一日養生し、翌日出掛けると、私を連れて行ってくれたその人に会う筈もないのに遭遇した。お互いにあまりの偶然に驚いた。彼の人はもう旅立っていた。前日がご葬儀だったと聞いた。私が熱を出したのもその人に遭遇したのも偶然ではない思いがした。
 今年2月2日が節分なのは37年ぶりだとか。昔は大晦日と同じような歳の終わりと考えられていたという。立春から確かに季節が移った実感。「さよならだけが人生」なのか。もう少し頑張るために、いま必死に自分を鼓舞している。
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2021/1/13

挫折が呼び戻す思い出  
昨年の終わり、ある演劇系大学の講師募集に応募した。自分から進んではしないことだ。これまで私の行なったワークショップに幾度も参加してくれて、フランスの我が母校まで留学にも行った俳優の人たちは10名近くに及ぶ。そのうちの一人が、自分の卒業した大学の演劇専攻科が採用を公募している、と情報をくれて、「優さんのような指導者が必要」なんて嬉しいことを言ってくれたものだから、つい出してみた。新春の連休の最終日に応募書類は戻ってきた。主任という方の5行程度のあいさつ文と共に。そのお方はどういう方か、ちょっと検索してみた。自分よりも若いし、きっと次世代を担う方なのだろう。採用はされなかった。
 自分の経験から、どんな指導者に出会うかはある意味決定的なことだと感じている。師匠フィリップ・ゴーリエの学校で始めてサマースクールのアシスタントをしてから、翌年、クラスを持ってみろと言われた。私が「教えた経験が一度もない」云々ともじもじ返答していると、「わざわざ説明ありがとう」とだけ彼は言った。「心配するな、お前が良い先生じゃなければ、生徒が勝手に来なくなって必要なくなるだけだ」と恐ろしいことを言われた。数か月が経ったある寒い朝、フィリップが私を呼び止めた。「あ、クビになるなきっと」と私は縮み上がった。「どうも不思議なんだけど…お前のクラス人が減らないな」と彼は言った。私は黙って笑顔を返し、半ばうれし涙をこらえながら教室へと上がって行った。私にとってフィリップは偉大な先生だ。彼に教えてみろと言われたことは、大きなオーディションだった。やるごとに私はたくさんのことをそこにいた俳優たちに教わった。様々な国籍、年齢の生徒たちに。今もう一度、彼に感謝している、あの経験があったことで、今私は日本でわずかな時間だが教えることができる。そんなことを改めて思い返している。
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2021/1/1

元日  
2021年が明けた。朝は日の出の時間にマンションの8階に上がる。ビルの谷間からだけどお天道様を拝む。対面西の方角に、富士山。雪を頂いた白い富士山がくっきりと見える。双眼鏡をしまうと、さっそくお雑煮を作る。日本での年越しは気ぜずして去年に続いて二年連続だけどお雑煮食べたいと思ったのは数年来。11時にはお神酒も切り上げようときめる。それから年賀状書き。10枚買っていた年賀はがきを2時間以上かけて書く。3時になる少し前、歩いて豊川稲荷へ。子供の頃からの親しいお稲荷さん。感染予防のための入場制限はあったが、列の進みは早かった。去年のお守りを返し新しいお守りを。元赤坂から歩いて四谷の土手、西の空に日が沈みかける。
2020年て一体どんな年だったのか。前年12月から稽古をしていた1月の公演は、4日に稽古再開、二週目に無事本番を終える。翌日から三月公演の稽古。二月は破天航路に同行でニュージーランドはオークランドへ。夏を味わう。帰国する頃からコロナ感染症の話題が出始める。3月も稽古は続けていたが、公演は中止となる。4月に予定していたセルビア、フランスへの下見旅行も中止。5月に予定されていた東京での国際フェスティバル、6月のシビウ演劇祭もリモートになり、破天航路の参加がなくなる。新規任用になった大学はオンライン授業を迫られ、その準備に忙殺される。緊急事態宣言下ジョギング中に見つけたフレンチのお店にメールをしてみると、直ぐに助っ人に来てとのこと。何十年ぶりかでバイトする。Ova97月公演をどうするか話し合った結果行うことになり、会食を徹底的に自粛した稽古、その間に10月公演のワークショップ。消毒三昧の公演本番。まもなく10月公演の稽古スタート、本番まで息つく暇もなかった。11月は再演ものの稽古、12月北海道から旅公演が始まる。数日は帯同。振り返ったら、休みなく何かしらやっていた。オンライン実験劇場も即興ライブもやった。目まぐるしい。コロナで立ち止まっていた筈なのに。まるで休むと死んでしまう体質のよう。今年は、少しゆっくり進みたい。去年よりは明るい一年になりますように。クリックすると元のサイズで表示します
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2020/11/21

La Peste  
 A.カミュの『ペスト』35人待ちで予約してから数か月、年内は諦めていたけれど、図書館から連絡がきた。カミュ全集4(1972新潮社)黄色のハードカバーだ。フランスでも物凄い勢いで売れているという噂は聞いた。それにしても見開き四段の細かい字!私の前の35人はこれを見て諦めたか、途中で挫折したか、それとも猛烈な速さで読破して次の人に渡したことになる。毎朝読んだ。はじめ小さなルーペを使用していたが、やがて眼が慣れて裸眼で読めるようになった。自分としては記録的な速さで読んだ。返却日より一週間も前に返却。
 2020年は恐ろしく忙しい年になるはずだった。
3月からの振り返りをしないと。今年があとひと月しかない…。
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2020/2/18

1月のこと  
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新春公演『咲き誇る花たち』があったため、久しぶりに年末年始日本に居た。と言ってもいただけで、過ごした、とは言いがたい。年明け直ぐに稽古再開、8日初日。千穐楽の翌日から3月公演の稽古に参加。遅〜い初詣に豊川⛩さんに行って古いお札や御守りを還す。婦人科検診と内科検診、清水谷公園の近く。むかーし、祖母が私をおぶってお散歩に来た場所。東京の景色がどんどん失われていく昨今、いろいろなことを思い出しながら変わらない景色を懐かしむ。豊川さんの裏口は、本当に昔のままのお店が並ぶ。いつまでも残っていて欲しい。流石に月末は風邪でダウン。数年ぶりでメンバーになったジムにちっとも行けない。
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2019/12/30

2019 暮  
 12月30日になったらしい、時間の過ぎる速さに自分がついて行かれない。2020年新春の公演に出演があるため、年末年始に日本にいるのが久し振り。何年ぶりだろう。27日まで稽古して、28日は演出者協会の会議ほぼ終日、昨日は6時間くらい掃除をしてクタクタになる。先週痛めた肋骨がまだ相当痛いので、身体を動かすのが辛い、あと二週間はかかりそう。
 9月半ばにパリから戻り、翌週は坐禅断食へ、五回目。WS参加、部活。10月後半は中国・Wuzhen Festival烏鎮演劇祭へ、破天航路と共に二回目。11月高校演劇と都立高校。その間来年のOva9の演目決め、シビウ国際演劇祭への破天航路出演のコーディネイトと、あっという間に師走になった。12月初旬からの稽古も、足早に過ぎ、気づけば今年も終わる間近。
クリスマス12日間の最後、年始1/6に食べるgâteau des rois,2018と2019とも友人宅でfèveを取ったのは私だった!だから幸運の年が続いたのか、忙しかったことだけは確かだ。少しスピードをスロウダウンして、ゆっくり自分の足元を見る時間を持てるように来年はしたい。と思っているのだが。
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2019/9/1

ブリュッセル一泊旅行  
30/08金曜日、昼過ぎ北駅からTGVに乗る。最初の停車駅ARRASで乗り換え。乗り換え列車は遅れて到着、それでも15時半にはブリュッセル・ミディ駅に着く。急いでない旅は何のストレスも無いし、2時間半なんてあっという間。メトロに乗り継いでカスケットのアトリエへ。ソワレ・キャラバンにクラウンで出演したのが、2年前の6月。丸2年も過ぎたのかぁ。懐かしい。19時からの本番の準備をしているアーティスト達に先ず挨拶に。初めて会ったのが、2016年の夏沖縄だから、それから3年、二人のミュージシャン、メディとジョスランもちょっとおじさんになっていた。イザベルとミゲルに会い、再会を喜び合う。階下の稽古場の外套掛けに赤鼻が一個、掛かっていた。西日が差して、何やら素敵な雰囲気。アドミのヤニックと少し仕事の話をして、それから、去年の10月脳梗塞で倒れたジェラールの話を。少しずつだが良くなっていると聞き、安心する。ショウは10年前に初演したロス・ヤヨス、沖縄でわたしがカンパニーを担当した時の同じ演目。この後ツアーに出る前のただ一度だけの公開稽古。きて良かった。いろいろな思い出がよみがえる。車椅子で来ていたジェラールは私のこと、しっかりと分かる。2年前に彼に会った時の表情や身のこなしが目の奥に焼き付いていて、それは悲しいけれど、今話が出来る彼に再会できて嬉しかった。夜は遅くまでメンバーと話す。来年の東京のフェスティバルに招聘が決まれば、東京でまた会える。
翌日は、ミゲルだけが荷出しにやってきた。私は正午過ぎ、散歩にでた。王立美術館でブリューゲルを大きく取り上げている!その隣はマグリット美術館だ、どちらも大好きだから、行くことにした。
先に入ったのはマグリット美術館、今年が10周年らしい。生マグリット‼ダリを生で見た時よりも感動が大きい気がする。売店はさらりと出て来たが、もう一度戻って9月16日というタイトルの、一番大人しい絵を買った。葉書の方は、余りポピュラーでない寧ろラジカルな作品を。
続いて、Old Masterと書かれたか王立美術館のフロアへ。ブリューゲル、ヴァン ダイク、ダヴィド、ルーベンス。高校の頃、毎月配本で揃えた美術全集の背表紙を飾っていた巨匠たちの作品、実物を目の当たりにして胸が踊る、というか、感動が止まらない。その全集はもう手元にないけれど、その代わりに実物に会えるとは。
開くたびに漂う印刷のインクの匂いが記憶に残っている。でも今見ているのは現物‼こんな日が来ると思ってもみなかった自分の幸運に驚くばかりであった。4時間じっくりと浸る、というより、溺れる。至福の時。5時半にはカスケットに戻ったが、イザベルは膝の痛みで急きょ病院ということで、残念ながら会えず。きっと会えるだろう、東京で。メトロで駅に向かう。さて、またいつかここに戻ってくる日が来るだろうか。ふと淋しくなるが、それでも充実感を味わいながら夕暮れ、TGVでパリへ帰る。
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