2018/11/4

乌镇戏剧节  
 先週訪れた初中国は、Wuzhen Theatre Festival、東洋のベネチアと呼ばれるこの都、行くまでは全く知らなかった。1300年の歴史を誇る素晴らしく美しい街。こんな美しい場所があるなんて中国のイメージが一気にアップ。去年からサポートしているパフォーマンス集団「破天航路」は今年のヨーロッパツアーでパリ公演の後アヴィニョンへ。法王庁前広場でゲリラライブ中、中国からのプロデューサーに声を掛けられた。帰国後直ぐに連絡がありあっという間に招待が決まる。流石の破天航路…(正直こうなるだろうことは読んでいた私…)Out door carnivalに海外からの招致は彼らを含め11組、UK、ロシア、フランス、イタリー、ドイツ、スイスなどと並んで5日間10ステージで中国の、海外からの観客を沸かせた。夜はアーティストバーで、様々な国のアーティストと交流!あれ、ルーマニア・シビウのオクタヴィアに遭遇。またまた知らなかったが、プルカレーテ演出の「ゴドー待ち」でキリアック氏も前日まで居たことを知る!残念ながら舞台は見逃した。が、この後上海→東京と回るキリアック氏に東京で再会できた!のは本当に幸運。。今年25周年のシビウ演劇祭は、あの勘三郎さんの2008年にパリからボランティアで行って以来10年ぶり。(実は去年も行ったけど)その規模の増大さ加減に圧倒された。来年も行きたい。
 それにしても今年6回目のウチン・フェス。アヴィニョンとシビウをお手本にしているらしいが環境整備も素晴らしい。メインストリートにゴミ一つ落ちていない。これからも行きたい演劇祭だ。いいアーティストには美味しい料理も酒も必要だ!その条件も満たしている。この街出身の詩人で画家木心の美術館Muxin Art Museumも行った。「木心」に興味。クリックすると元のサイズで表示しますクリックすると元のサイズで表示しますクリックすると元のサイズで表示します
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2018/10/13

秘密の箱  
この12月に七回忌を迎える青年座同期の写真を探してた。十八代目中村勘三郎さんが亡くなった翌週に旅立った最愛の同志、M.一緒に苦労した。福島市出身。ルームシェアで一緒に住んでいたこともある。そんなこと、私が話さなければ誰も知らない。「夏の夜の夢」のタイテーニアと芥子の種。同じ箱には、先月亡くなった別のM.みっちゃんの写真、2005年のノエル。今日までパリの13年間が蘇る。別のアルバムは2003年の冬パリ、文化庁で初めて送られたパリで荷物が着かず、冷たい雨に凍えてた。ヴォルテールの公衆電話ボックス、勿論今はもうない。
 「News News-テレビは何を伝えたか」長野公演で、再会した高校時代の恩師で登山家の国語教師あの先生からのお手紙。先生と女生徒の薄恋慕、の記憶…消印は平成11年。
横浜の従姉妹たちからの手紙、文集、御巣鷹山の事故で消えたノーニンの追悼文集。そして大学時代の友人からの28年前の手紙。娘の写真が同封されている。あの頃、どんなことを考えていたのだろうか。大幅な軌道変更でわたしは演劇の世界に入り、今悉く縁のある場所と繋がっている。小学生になる前に住んでいた富久町に今ある、都立総合芸術高校でのしごと、父の地元横浜での高校演劇部。母の郷里長野での高校演劇審査。なんだろうこれ。そしてもはや30年になろうとしている私の演劇人生は、果てしなく甲斐も無くそして自由だ。
来年の作品は、富久町と四ツ谷三栄町出身の大先輩方がわたしの翻訳劇に出演してくださる。そんな光栄な巡り合わせ。来夏までは決まっている、弱音を吐いてはいられない。
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2018/10/6

一か月  
 今朝は3時台に目が覚めた。丁度ひと月前の朝と同じ。あの日メッセージに気づいたのは午前2時を過ぎていた。疲れているのになかなかベッドに入る気がしなくてホテルの狭い部屋で夜更かししていた。KENからのメッセだったのでドキリとした。パリはまだ宵の口だと思い電話を掛ける。Michiruが旅立ったと。6月も7月もパリで会って、覚悟は少しあったもののショックが大きくて言葉が継げなかった。にわかには受け入れられず、一旦電話を切る。もう3時、明日もあるから寝なくてはと横になり5分もたたなかった。午前3時8分、大地震。とっさにテレビを点けると地震を知らせる停止映像。間もなくブラックアウト、トイレから異音がして、水も止まった。自分の企画したワークショップで私は札幌にいた。北海道によく来るわけでもないのに20年くらい前の釧路沖地震の時も釧路にいた私。訃報を受けた時に札幌にいて、こんな大きな地震に遭って、頭の中の整理がつかなかった。みっちゃんの故郷といってもいい札幌。偶然とは思えなかった。どうなっているんだ。しかし、9月6日は札幌でのワークショップの最終日。今日はどうなるのか、どうすればいいのか分からない。翌日の朝、水と電気が戻る。空港へ行かなくては。なんとかして。電車は全面不通。タクシーしか無かった。講師たちを先に送ったタクシーを待ち構え、2時間かけて新千歳空港へ。幸い午後の便は飛んで、講師も成田へ送ることができた。パリ行きの飛行機を予約しなくては…葬儀の予定は…。KENにまた電話を。柩が火葬場へ送られる前に何とか到着できる便を購入した。片道20時間のフライトはこれまでの最長。心も身体も憔悴していた。数日前からの咳がひどくなっていた。…1週間後また20時間かけて帰国。その後もずっと咳が止まらない。10月に入って採血したが所見は無かった。もともと10月には演出している芝居の本番で行くことになっていたパリ、9月30日には発つ予定だったが仕事がありすぎた。4日の切符を7日に変更したがまだ迷っている。あと数時間のうちにどうやって決めたらいいんだ。
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2018/10/3

山手熱  
 9月最終週は、高校演劇の部活、横浜共立学園演劇部に通う。9月に起きた他のことどもは、改めて別に書きたいと思う。あまりにもありすぎた。さて、昨年、突然参加にもかかわらず地方ブロック大会を制し、横浜中央大会に進み審査員特別賞まで頂戴してしまった実績を重責に、後輩の高2生たちは、自ら選んだ難易度の高い戯曲に挑んでいた。彼らがやりたい、と言った以上、大会審査員受けが良いとか否とか、もはやどうでもいい。私は全面肯定で、彼らのコーチとして仕事を全うするのみである。それにしても、自分の体力が落ちていた。3週間続いていた咳が止まらない。しかし、大会で、彼らが輝くように何としても最善を尽くさなくては、と乙女坂をひたすら登る。登る。はじめての学校での通し稽古は絶望に近い感だった。しかし、彼らを最後まで信じずに何とするか。言うべきことは伝えあとは、彼らの底力を信じるだけ。9月29日台風24号が近づく雨の日に横浜地区大会Bブロック大会が開催された。客席で、身の凍る想いの私。スタッフワークと演技チームの息が全くあっていない。
翌日、部員からのメール。優秀賞を頂きました、と。え!次大会進出ならずとも、4位入賞ではあったという評価。奇跡的。やはり、君たちは何かある。でなきゃ、往復3時間の部活に通うモチベーションが私に無いだろう。難しい戯曲で大健闘。悪くはない出来だった。こうして、わたしの山手熱は止まないのである。今週末は秋桜祭、文化祭での発表がある。
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2018/3/31

充実というのか  
 早咲きの満開の桜…お花見も特になく、昨日は稽古休みに、別の朗読劇の顔合わせ。今日は午前中からの稽古に、夕方から演出者協会の会議。未だ、確定申告も出来ず…。なんだろう、この時間の無さ。今夜は満月!と思いきや、正確には明日だった。
「手紙」文学座の得丸さんのホンは、予習しているうちに涙が止まらず、、いかん、泣いてる場合じゃない、と自分を諌める。「しあわせの雨傘2018」と「手紙」四月の後半まで。しかし、課題が目の前にある幸せを、噛みしめる。 
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2018/3/3

大家さんのこと  
 春が近づいていた。Next Generation in Asia三年目の本番を週末に控えたとき、突然の訃報が入る。間違いではないかと疑った。青年座の大家仁志さんが亡くなったというのだ。だってついこの前まで舞台に立っていたのだから。最後の舞台は行かれなかったが、12月「断罪」もその前の新国立での「ブンナ」も観ていた。ブンナの時舞台裏でお客様と面会中の大家さんに久しぶりに会い、言葉を交わした。その時とても痩せていたので、心配すると、「もう大丈夫。山上はどお、元気か、気をつけてな。」と言われた。あの時相当きつかったのだろうなと察する。
 2006年の秋から大家さんは一年パリに来た。私の住んでいた19区のアパートに彼が入り、私は4区にある小さなステュディオに移った。週末の蚤の市に衣裳を探しに一緒に行ったり、私のアパートに来てささやかな夕食を共にすることもあった。母の危篤の知らせが入り、急にフライトを予約して発つ時、玄関のドアのところで靴を履きかけの私に、裸の20ユーロ札を握らせ、「弁当でも買って」だったか、「何かの足しにしろ」だったか、下さった。お兄さんのようだった。2007年の春ビザの更新に失敗して一時帰国するまで、大家さんとはよく会っていた。
 ロンシャン競馬場も一緒に行った。日本人騎手の竹豊が乗る凱旋門賞の時だった。大晦日のエッフェル塔近くの花火大会も確か二人で行った。ワインを大家さんのリュックに忍ばせて会場に行くと、ガラスの瓶は持ち込み禁止だったので、近くのキオスクでエヴィアンの1リットルを買い、水を捨ててペットボトルにワインを移し替えて持ち込み、場内で飲んだ。高いシャンパンを何杯も買って飲めないからだ。クラウンの発表があるから何か派手なもの無いかと聞かれ、私の色々柄の長靴下を貸したりもした。それは今も持っている。大家さんが履いた靴下だ、と見るたびに思い出す。
 大家さんは、長野県松本市の出身だった。私が母の郷里で飯田高校に通った頃、ほぼ時を同じくして大家さんは松本県ヶ丘高校にいたことになる。ご縁があって松本を含む中信地区の高校演劇に関わり、まつもと芸術館に昨年まで毎年通った。現在の芸術館の敷地内に大家さんの御実家の酒屋さんがあったと伺った。大家さんの母校、県ヶ丘高校の生徒たちと毎年交流があったのもただの偶然と思えない。
 柩の中の大家さんは髭が少し生えていて、ハンサムだった。代々幡斎場でお別れをする時、「優、がんばれよ。」という声が聞えた気がした。サヨウナラ。とても悲しいけれど、もうすこし頑張る私をどうか見守っていてください。ありがとうございました。クリックすると元のサイズで表示します
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2017/11/2

横浜共立学園演劇部高校二年生の皆さんへ  
横浜市高校演劇発表会中央大会での、優秀賞、審査員特別賞の受賞おめでとうございます。激戦区神奈川県の地区大会での皆さんの成果は、立派なものでした。
私の高校演劇は未だ続き、今、長野県大会の審査に向かう新幹線の中です。
2015年の3月にまだ中二だった皆さんと出会ってから、コーチとして、どんな風に部活に参加できるだろうかと、模索しながら通っていました。今年学校としては久々に地区(ブロック)大会に出場したいと言った皆さんの決意に、私のスイッチが入りました。夏、乙女坂の階段がきつくて息切れしつつ登ったこと、時間が1分でも惜しくて、焦ったこと、往復3時間かけても皆さんとやる1時間半の部活が宝のようでした。私の時にやや独断的なコーチングにも皆さんはグイグイと近づいて来て下さり、手ごたえを感じていました。遠距離恋愛の逢瀬のように⁈大切な時間でしたね。
ブロック大会の結果をセルビアで聞いた時、嬉しくて、ツアーの面々に話しました。本番を見られなかった事だけが心残りでした。
中央大会の結果を、自分の本番中の楽屋で受け取った時は県大会に進めなかった悔しさがありました。時間が経つにつれ、自分の責任も感じていました。中央大会の客席で走らせたダメ出しのメモを持て余しながら、前のブロック大会を見ていたら、この講評を事前に伝える事が出来たのに、と。
しかし、振り返ってみれば、あなたたち四人の勇気があってここまで来られたと実感しています。今回の成果は、これからの君たちの人生に、いつも自信と勇気を思い起こさせてくれる経験になったと思います。皆さんが、輝いていて、素敵でした。そしてそんな素敵な君たちと同じ時間が過ごせたことを感謝します。今日までの二年半、ありがとう。
後輩の方たちも、きっと君たちの雄姿を目に焼き付けている事でしょう。

コーチより
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2016/10/8

高校生ざんまい  
 都立総合芸術高校二年生前期成果発表「わが町」を11時から観劇。大雨。舞台稽古を先日見ていたけれど、矢張り本番を見たいと思い、完全雨支度で出かける。その純粋さに、若さに、一生懸命さに感動し水分の多くなった目を瞬きしないようにしながら学校を後にする。副都心線に乗り換えて今度は横浜へ。横浜共立学園秋桜祭。演劇部コーチに呼ばれたのが2015年3月、そのとき中2と中1しかおらず、昨年度も新入部員はいなかった。今年は、あのとき中2生だった彼らが高校生に、一年生も入って部員が増えた。来年は高校の地区大会に出場したいと言ってきた。なんだか、うれしい。文化祭の演目は「耳をすませば」ジブリ映画をもとにした台本。先月末から4回コーチングしかできなかったが、行けば行くほど愛情が湧いてしまう。
 彼らの作った小道具、バロンとヴァイオリン。いいぞ、なんかいいぞ。はまりそうだ。クリックすると元のサイズで表示します
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2016/1/22

初悪夢…!?  
一幕が終わると、急に客電が上がり、安いちょんまげカツラに三度笠を携えた旅姿の男が、舞台に登場し演歌を歌いだした。な、な、なにぃ!!今回の芝居休憩は無いはずじゃないか、というより何事だ!フランス喜劇よ、この芝居。余興?演出の私が聞いてないじゃないか。走る、制作を探しに。控室にいた制作のO氏何かもごもご言っている。ワカコー(演出助手)と叫ぶ。「なんだよコレ!聞いてないじゃん、あり得ない!!」激怒する私。当然だろう。「優さん、落ち着いてください」って、落ち着いていられるわけないでしょ、そんな。すると、顔に隈取りをしたような隈のある強面の男が、「てめぇの芝居なんか見てらんねぇんだよ」と言いながらトイレから出てきた。「ワカコ、誰あのやくざ?」と言うとなぜか突然の便意。激怒したためか、しかし人前で脱糞するわけにはいかないとトイレに駆け込み用を足していると、また突然トイレの壁が消え、しゃがんだままの私がむき出しに。しかも、男性トイレだった。どうなっているんだ、ワカコー。すると舞台上には今度は、若い男女が15,6人歌って踊っている。「〇〇養成所の若手の方々です」とワカコ。知らんよ。聞いてないよ。言うなり演助に馬乗りになりボコボコにしている自分。そして、泣いているワカコを抱きしめ、「あなたに言っても仕方ないのか…しかしじゃぁ、誰に言えというんだ!」と私も泣いている。あああっ。と声が出て目が覚めた。時計は4時40分を指していた。
 昨日はスピードランの稽古。光明が見えてきたと胸をなで下ろしていたのに…。しかし私の頭の中はどうなっているのだろう!客席が薄かったらどうしようという過度の強迫性障害か。。。クリックすると元のサイズで表示しますたくさんのお客様にご来場いただけますように…!

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2016/1/4

月曜日  
 ニュースでは三月から四月の気温とか言っている。滞在中の山中も、初めて雪のない年末年始だとか。無くてよかったけど。東南の部屋になってから元気になってきた、矢張りお天道様は大事だ。蒲団を干したりするだけで幸せ。昨日から回復食が始まり、発酵玄米の美味しさに感動する。初めは具のない味噌汁からだが、この味噌が古代味噌で加熱してからの甘味が何とも言えない。二食目からは具も。野菜はもちろん無農薬有機野菜、家では再現不可能。今日夜の四食目で発酵玄米八分粥に味噌汁とこぶ煮だけだが、オリジナルの梅干しをおねだりした。この満足度はいったいなんだろう、日ごろの食生活を思うに恐ろしい。昨日は車を持っている人に便乗して、天然温泉へ。すごい種類のお湯があったが、じっとがまんして腰湯までで出る。痩せる目的ではないが、十数年ぶり!?の数字をマークし感動する。直ぐ戻るんだろうなぁ。林の中のけもの道で体操する。散歩に行く前に話し掛けてきたのは秋田から来ている神学生、語る語る。私が日曜日の礼拝にでていたから話したかったらしい。昨日大阪に帰った宝塚受験に失敗した女子も、演劇の話で盛り上がる。人との出会いは考えもしていなかった。バスを途中で降りて、国道153号線まで歩くと途中に山の上の小学校。昭和の姿の学校。登り綱に触れてみる。そして帰り道、惹きつけられたあの二本杉のところへ今日も立ち寄る。私のことを待っててくれてありがとう、などど言いながら。明日は最後の回復食に、お粥でない玄米飯が出る、これが食べたくてここへ来る人もいるという。合点。今夜も星は満天に。
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